041 なぜ、コーチやカウンセラーは「なぜ?」を使わないのか?
コーチやカウンセラーから「『なぜ?』『どうして?』を使った質問はしないほうが良い」と聞くことがある。
彼らの仕事は相手のどんな意図も受け入れることだから、いちいち意図を探るようなまねはしない。
これを「無条件の肯定的配慮(ロジャーズの3原則のひとつ)」と言うのだけど、これが「なぜ?」を使わない理由なのかも知れない。
クライエントと心に関するやり取りをする際、大事なことは上記の3原則にそって対話をすることである。
だから、3原則に沿ってさえいれば「なぜ?」や「どうして?」を使っても問題ない。
例えば次のような感じだ。
どうだろうか。
善悪の評価や好き嫌いの評価をせずに行えば「なぜ?」「どうして?」にそこまで悪い感じはしないんじゃないかな。
「なぜ?」を使ってはいけない理由。コーチやカウンセラーの見解
ちなみにコーチやカウンセラーの言う「なぜ?」を使ってはいけない理由調べてみた。
ざっくり「質問の意図に問題があるとする群」「効果が無いとする群」「質問者の心理に問題があるとする群」の3種類の視点があるようだ。
「なぜ?」を自重するのはコーチやカウンセラーだけである。
冒頭に書いたとおり「無条件の肯定的配慮」があれば「なぜ?」「どうして?」は問題ない。
ただし、クライエント側に警戒心がある場合は避けたほうが良い。
とくに「なぜ?」は自重すべきだろう。
「なぜ?」の持つ鋭利な感じにクライエントは反射的に心を閉すからだ。
と言うと、「一切使わない」と過剰反応する人がいるけど、そこまで神経質になる必要はない。
向け先が「事柄」である場合、むしろ「なぜ?」は有効に機能するんだよね。
トヨタ「5回のなぜ」の例
たとえば自動車メーカーのトヨタでは「5回のなぜ」が推奨されている。
どうだろうか。
あまり嫌な感じは無いんじゃないかな。
向け先が「事柄」だと相手も傷つかないってことだろうね。
「なぜ?」がまずいと言うより「尋問」がまずい
じゃあ逆に人に対して「なぜ?」を連発したらどうなるか。
悪い見本を示すと次のようになる。
どうだろうか。
「無条件の肯定的配慮」無しに人に向けて「なぜ?」を使うと、もはや「尋問」である。
尋問とは、警察の取り調べで行う容疑者の「悪意ある意図」を聞き出すための質問のことである。
人を「モノ」のように扱い、動機や理由を探り出そうとすれば、こんな感じになってしまう。
誘導尋問、誤導尋問、威嚇的尋問とは何か
法律家の世界では、尋問は不可欠としながらも、その危険性は配慮されている。
テレビドラマでも裁判の場面などで「今の質問は誘導です!」なんてやり取りすることがあると思う。
尋問は往々にして誘導になりやすい。
確かに取り調べ等において尋問は必要不可欠。
でも、それは取り調べる側の意図で展開しなければならない都合上仕方ない話である。
ただし、その意図にとらわれてしまうと誘導になってしまう。
これが「質問者中心主義」での対話の留意点である。
これに対してコーチやカウンセラーは「来談者中心主義」が基本。
だから尋問とは真反対のやり方をしなきゃならない。
というか来談者中心のやり方が染み込んでいれば、自然にそうなると思う。
繰り返しになるけど「無条件の肯定的配慮」さえあれば「なぜ?」「どうして?」は、そこまで問題ではない。
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