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059 儲けだけを考えたマーケティングは詐欺と変わらない
『天才詐欺師のマーケティング心理技術』(ダン・S・ケネディ著)という本がある
この本は詐欺師の視点でマーケティングの秘訣を書いた本である
この中に「他人が求めるものを得る手助けをすれば、手に入らないものなどない」という言葉がある
「他人が求めるもの」が顧客のニーズやウォンツだとすれば、それをかなえるためにありとあらゆる手を打てる人は、商売において絶対に失敗しない
この著者の主張は、ある意味マーケティングの本質かも知れないと思った
ちなみにニーズとは「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」
ウォンツは「承認欲求」「自己実現欲求」のこととしておく
3つのニーズ
生理的欲求:生きていくために必要な基本的・本能的な欲求
安全欲求:身体的安全や経済的安定を確保したい欲求
社会的欲求:友人、家庭、組織から受け入れられたい欲求
2つのウォンツ
承認欲求:他人から認められたい欲求
自己実現欲求:自分らしさを完成させたい欲求
確かに、ニーズやウォンツをかなえるためにありとあらゆる手を打てる人に、人は物事を依頼する傾向がある
たとえば、自分が余命1カ月と診断されたとき、「地球の裏側まだ行って奇跡の水を持ってくる」という詐欺師が現れたらどう感じるだろうか
生存欲求(生理的欲求のこと)に関する提案である
もちろん心身ともに健康な人なら、こんな怪しい話に乗ったりはしない
でも、本当に余命1カ月になってしまったらどうだろう
藁をもすがる気持ちでついつい聞いてしまうかもしれない
さらにその詐欺師が毎日のように通ってきてくれて、説得力のある話をしてくれたらどうだろう
「詐欺でも構わない、この一縷の望みに賭けてみるか」って気分になってもおかしくないかな
この話はニーズに関するたとえだけど、この流れはウォンツでも一緒だ
たとえば、整形手術というウォンツを持つ人で考えてみる
もし仮に「あなたをモテモテのイケメンにできます」なんて詐欺師が現れたらどうだろう
整形手術は生きていくうえでとくに必要なもの(ニーズ)でないのでウォンツなんだけど、こういうウォンツを持っていない人なら「こんな胡散臭い話に騙される奴はいない!」って思うことだろう
でも、これが欲しくて仕方のない人がいるのも現実である
壮大な広告、メディアの取り上げ、権威がありそうな雰囲気、執拗なフォローなど、これらを徹底されたら信じてしまうかもしれない
これが詐欺師のマーケティングである
さて、問題は詐欺とマーケティングの違いだよね
考えを先に言ってしまえば、良心があるかどうかだと思っている
長年いろんな経営者を見てきたけど「この人良心があるのか?」と思う人は少なからずいる
とくに儲けている経営者に多い気がする
彼らのやり方を見ていると、まさに『天才詐欺師のマーケティング心理技術』に書かれている次のようなことをやっている
権威を使いたがる
ターゲットを絞り込んだら徹底的に狙い、打ち続ける
メディアを徹底的に使う
自信満々に売る
利用できるものはなんでも利用する
敵と味方がはっきりしている
回復力がすごい
顧客に対して徹底的なフォローをする
これらはいわゆる「マーケティング」そのもの
「いわゆる」を付けたのは皮肉であり、要するに詐欺の要素も感じるってこと
でも、世のビジネスマンたちは多かれ少なかれ、上記のようなことをしていると思う
確かに、気持ちは顧客志向でも、競合とのシェア争いがし烈になると、このようなグレーゾーンに足を踏み込む気持ちは分からなくもない
それくらい詐欺とマーケティングの境界はあやふやである
一般的には、宣伝文句と結果がまるで違ったら詐欺で、その許容範囲は法律や契約に基づいて判断される
となっているけど、言うほど違法と適法の境界は明確じゃない
詐欺とマーケティングは外形的に区別することは難しく、最終的には裁判で決着つけるしかないだろう
違いがあるとすれば内面、つまり「良心」の有無しかない
だとしたらつまらない結論に達っしてしまう
どんなに悪意があろうと外形的に法律に触れなければ、もしくは有罪判決を受けなければ、詐欺にはならない、となる
憲法で「内面の自由」が保障されているからね
事実、詐欺罪は起訴率・検挙率ともに半々、つまり1/4程度しか判決にまでたどり着かないらしい
それだけ故意を証明するのが難しいということだ
これをいいことに、限りなく詐欺に近いマーケティングは、今日もどこかで行われていることだろう