♡10年うつを経験したらいろんなものが見えてきた♡
うつは心の中に咲く花17 ~うつ実家に帰る、そして実家のカオスにはまる~
私の父は92歳、母は86歳、ほげー、もうそんな年になったのかと思いますが、ありがたいことに、お陰様でよちよちと、隣県の「まあまあ田舎」に住んでいます。
コロナ自粛のせいで数か月、顔を見に帰ることもできませんでしたが、さすがに心配なのと、ちょうどたった一人の親友がご主人の仕事の関係で2年南米に行ってしまうので、ここで帰らにゃいつ帰る!というわけで、ガラガラの電車に乗って帰ってきました。
最寄りの駅についてまずはタリーズへ。いやー、タリーズができたとは、感慨深いです。そしていつの間にか撤退してしまった、となる前に寄っておかねば、ということでコーヒーを飲んできました。
電車はガラガラでしたが、乗換駅は混みこみでした。うわー、密だ、というわけで、買うものだけさっさと買ってさっさと電車に飛び乗りました。買ったものは夕飯用のうなぎ弁当です。父が元気だったころには、というか自動車免許を持っていたときには(去年まで、ひー、恐ろしい)、帰ると翌日のお昼は必ずウナギ屋さんに行っていたのですが、今は車がないので行けず、タクシーを使うとお金がかかるというので、うなぎ弁当で我慢です。
帰るとさらに縮んだ両親がこたつでくつろいでいました、というか半分寝ていました。最近大きな声が出るようになった私は大声で「ただいま~!」と帰宅の挨拶をして、両親をたたき起こし、早速うなぎ弁当を披露です。ついでに前の日に買った近くのパン屋さんのブドウパンも差し入れです。父は、「おー、元気か、おー、うなぎか、こりゃうまそうだ、すみませんね。」と誰に言ってる感想なのやらすでにごちゃまぜ状態です。母は「あらまあ、早いね、何をするんだっけ、ああ、お茶か。」おかーさん、いいからいいから、お茶くらい自分で淹れるから!
でも考えてみれば、うつがひどかった時には一人で帰れず、いつも土曜日に夫に車で送ってもらって、お昼はうなぎ、午後を少しまったり、というかみんなで昼寝して、そのまま帰るという、何のために帰ったのやらわからない年月が数年続いたのでした。それを考えれば、私も元気になったもんです。そして比例するように親が年を取るという、仕方ないけれど現実です。
午後4時を過ぎたところで、「じゃあ、そろそろ食べるか。」実家の夕飯は午後4時半と聞いていましたが、今日はさらに30分早くなっている。「お前も食べるかい?」さすがに遠慮しました。誰が4時に夕飯を食べられるもんかい!
蓋を開けると、ご飯の上が見えないほど、とはいかないうなぎ様がちんまりとおさまっていましたが、それでも両親大喜びです。すこしだけチンして、もぐもぐと食べだした彼らのスピードの速いこと。一口食べて「おいしい!」「うまいなあ!」そうでしょそうでしょ。ほっほっほ。ここまではいいとして、そのあと「この弁当はコメがうまいな。」「つや姫みたいですよ。」「ウナギもいいけどコメもうまくなくちゃあな。」
農家出身の両親はコメの味にはうるさいのでした。それにしてもコメばかりほめて、うなぎがかわいそうだよう~。しかし、見ている間に父5分、母10分ほどで食べ終わり、往年の二人を見ているようでした。大体うちの家族は早食いで、小さい頃私はもたもたしているとおかずを食べそびれるということが何度もあり、それでこんなにちいさくなったのかな。ぶつぶつ。
まあいいか、と私もTVを見ながらくつろぎ始めたところで、父がブドウパンを食べながらやってきて、「おい、このパンはうまいな!ブドウがこんなにたくさん入っていてすごいな!」あのー、さっきうなぎ食べてましたよね。だ、大丈夫なの?娘の心配をよそにうまいうまい、と一切れ食べてしまい、大満足の父、まあいいか。
すると数分後母が同じ状態でやってきて、「お父さん、このパンおいしいですよ!あれ、食べたの?私の分半分残しておいてくれなかったの?」「おめえも食べてるじゃねえか」「だってあんまりおいしそうだったから。いつもは半分個じゃないですか。」「いや、半分にしとこうと思ったんだけど、あんまりうまくって一個食べちゃったよ。」はいはい、わかりました。次回も必ずそのパンを買ってきますから。ここまで私ほぼあきれ顔で無言です。
今回はやっと少しまともになったバイオリンを背負っていきました。両親に披露したら、きっとびっくりするに違いない、反応が楽しみ楽しみ。ひひひひ。
ところがですよ、ところが、二人ともなんじゃそれ?とポカーンとしています。母が「なんできゅるきゅる鳴るの?」えー、下手だからですよ!父にいたっては「へー、鳴るのかあ。」「へー、バイオリンてこんなに小さい楽器なんだねえ。」
あんたたち、そんな心根でよくぞ娘を音大に入れようとしていましたね、ピアノだったけど。楽器はピアノだけじゃないですよ。バイオリンびっくり作戦は大失敗でした。うなぎのほうが100倍彼らの感動を誘っていましたね。くっそー。
昼は暖かかったものの、夜はさすがに寒い実家。母が寒くないようにとたくさんかけておいてくれた毛布、お、重かった。寝返りもできないほど重かった。お風呂は2晩目にしては、きちゃなかった。うちも2人で2晩入りますが、なんでこんなに汚れ具合が違うの~?終い風呂に入った私はさっさとお湯を抜いて、掃除して出てきました。
なんか、なんというか、家じゅうが一見清潔だけど、ゆがんだラビリンスのようです。そうです。私は実家という時間の流れと物事の常識が全く違う迷宮に入ってしまっていたのです。思えば子供の頃からなんとなく居心地が悪くて、ここが自分の家なのかなあ、と思うこともしばしばでしたが、そんな実家にはいまだに私が残していった遺物も山積していて、いらないもののオンパレードです。本を手に取れば奥付が1999年だったりして、ガイドブックは役に立たず、もう絶対着る機会のない洋服も下がっていて、あらためて時の流れに置いて行かれた物たちに思いを馳せたのでした。
父がお風呂に入る7時まで少し3人で話をしましたが、びっくりするくらいかみ合わない。もう両親は耳が遠いのです。それでよく相手の話を聞かず自分のことだけを話すからかみ合うわけもなく、ついには二人でお互いをボケたとののしる始末です。私がふと、「私近所の自動車学校に行って、ペーパードライバー教習に行こうかなあ。そうしたら、車で帰ってこれるし、どこでも行けて便利じゃない?」われながらいいアイデアです。そして、そんな考えが浮かんだことにびっくり!したのでした、が、父が重々しく「やめとけ。」まあ、私の運動音痴は父もよく知るところ、であるよなあ、と思っていたら「投資はやめとけ、金をなくすぞ。」はあ?あのお、どこで自動車学校が投資になったんでしょう?それを聞いていた母が、「お父さん、投資じゃなくて自動車学校ですよ。」おお、母の理解は正しいです。「でもやめといて。危ないことはしてほしくない。」うーん、やっぱり反対かあ。そして、ここでくしくも二人の意見は同一方向へ向かいます。「危ないことはやめとけ。」「そうよそうよ、やめなさい。」娘懸命に叫びます。「投資もしないし、自動車学校にも行かないから!!」すると母が「投資って何?」なんでもありません。しくしくしく。
田舎の夜はつまりません。私も11時にはさっさと寝て、2時半には一度目を覚ましたもののそのまま寝て、翌朝5時頃起きだしてガタゴトなにごとかをしている階下の両親の気配を感じつつ、7時半に起きていったら、母が「昨夜のブドウパンがない。」と泣きべをかいてます。まさか残り全部を父が食べたのは?と母娘の鋭い目が父へ。父は「食べてねえよ。」ではどこかにあるはず、はい、ありました。なぜか戸棚にしまってありました。母曰く、大事にしまっておこうと思って、つい戸棚に入れて忘れたそうです。
昼前に親友が迎えに来てくれて、一泊二日の実家迷宮案内は終了です。彼女と何を話したかはまた後日として、今日はここまで。
はあ、疲れました。