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本当のSDGsとは何か。江戸末期創業の箱屋が原点回帰に込めた想い

日本には世界に誇る伝統工芸が各地に存在していますが、その従事者は年々減少を辿っています。その背景には、デザインを模した安価な製品の波や、技術を維持しつつ時代に合わせ変化することの難しさがあります。今回は、江戸末期から続く「箱屋常吉」の5代目、笹井 雅生さんに、原点回帰しプライベートブランドを立ち上げた背景を伺いました。そこには、パイロットを目指し米国留学された経験もある笹井さんならではの、変化を恐れず本質から逃げない、ものづくりに対する想いが込められていました。

木を生かし、最終的に土に還る製品づくり

―どんな事業をされているのでしょうか?

吉野杉をはじめとする国産の杉で、無塗装・天然無垢素材の箱製品を手掛ける「箱屋」を江戸末期から営んでいます。創業当時から無垢の杉材を使っており、身体に優しく、最終的に土に還るという、木製のおひつやお弁当箱などの容器を作っています。
最近見かけるようになった「洗剤OK」と表示された曲げわっぱは、塗装されているものです。木材は、薬品に漬けたり、ウレタン塗装したりすると、切られてもせっかく生きていた木が死んでしまいます。もはや、木じゃなくなってしまうというのが一番残念です。木は樹齢100年200年と、我々人間よりも遥かに長生きをし、たくさんの微生物がつきます。それが、天然の抗菌作用となり、木が切られてもその作用は保持されています。だから、僕たちは木の良さを理解し、木を生きたまま使ってもらいたいという思いから、塗装しないやり方で箱製品を作っています。 

― 無塗装・天然無垢素材への想いは、創業から脈々と引き継がれてきたのでしょうか?

実は、それを貫けなかった時代がありました。
僕の先祖、常吉じいさん(雅生さんの高祖父様)が「箱専門に手掛ける箱屋になる!」と言い出したのが始まりで、江戸末期から箱屋を営んでいます。大阪で初めて箱屋と名乗った企業の1社ですね。創業当時、箱は主におひつや菓子箱として使われることが多く、虎屋さんや鶴屋八幡さんなど和菓子屋さんの贈答用の箱や、料亭さんの料理箱としても使っていただきました。
昭和になると、木箱は主にお中元・お歳暮で使われるようになりました。世の中の流れは、高度成長期の大量生産の時代でもあり、安く作るために中国などの木材を使うことが主流になっていきました。中国の木材は漂白剤に漬けられたり、耐久性を求めるがゆえにウレタン塗装されたり、ものすごく薬品まみれ。そういう木箱が世の中に大量に出回るようになったのです。今より円高でもっとひどいデフレの時代、「100円以下で木箱を作れ!」と言われ、実は当社もその波に抗えず、先代の時に安い中国材も扱うようになりました。

原点回帰のきっかけ、亡き父との思い出の弁当箱

-そこから再び無塗装・天然無垢に回帰したのは、どういうきっかけだったのでしょうか?

昭和から平成へと月日が流れ、先代である私の父が亡くなり遺品を整理していたら、僕が子供の頃に使っていた木の弁当箱を見つけました。僕が使っていたのは無地のシンプルな木のお弁当箱。いつも僕の弁当だけ、ご飯がべちゃべちゃになっていないし卵焼きも腐っていない、すごく美味いお弁当だったのを覚えています。だから、母親の味で一番思い出に残っているのは、木の弁当箱に入っていたおかずなんです。
そんな、子供の頃使っていた木の弁当箱を手にしながら「数を追っかけて、売上を追っかけて、薬品まみれの木箱を作る会社じゃなかったよな」ということを思い出し、再確認しました。そこで、もう一度、国産の無塗装・天然無垢素材一本でやっていこうと、初代創業者の常吉じいさんの名前を敢えて掲げた「箱屋常吉」というプライベートブランドを立ち上げました。

― 原点回帰し舵を切りなおすのは、ご苦労も多かったのではないでしょうか

本当に「えいえいやー!」ですね(笑)
それまで手掛けていた大量生産の仕事も、どんどん価格競争になり「もうこれは駄目だ」っていう時に、あえて目の前の売り上げを捨てて、国産材の木箱に舵を切ったので、余計に大変でしたね。

プライベートブランドを立ち上げるためにファンドから資金を調達

― FVCが運営するおおさか創業ファンドとのご縁もそのタイミングでしたよね

はい、資金を出してもらえること以上に、事業への想いに対して共感してもらえたことがすごく有難かったです。
銀行からお金を借りることとは違い「投資してもらってるんだ、それに対して何とか応えよう!」という気持ちになるんですよね。FVCの担当の尾川さんとは、事業の話も良くするんですよ。「テレビ出てこんなんなりまして」と伝えると「えーですやーん!」と返ってくる。そんなやりとりができるというのは、やりがいにも繋がりますね。

― 最近はサスティナブルという言葉も広まり、若い方も木のお弁当箱を手に取られるようになっていますね。共感者は増えているように思いますか?

やっと注目されてきたと感じています。一方で、この機会に「本当のSDGsとは何か」という視点を持ってもらえたら有難いです。

例えば、国内で売られている木箱の半分以上は中国製です。たまに5,000円以下で売られている「曲げわっぱ」もありますが、おそらく日本製ではないでしょう。国産の無塗装・天然無垢素材は、極わずかしか流通されておらず、職人も減っていますので、その価格では作ることは難しいのです。ですから、見た目は木の美しさのある「曲げわっぱ」でも、どんな接着剤を使い、どんな塗装をしているかまで、確認してもらいたいですね。塗装されていると「食洗器でも洗える!」と、手が伸びてしまうかもしれません。また、いつまでも色が変わらず美しさを保っているかもしれません。でも、塗装工程での環境への影響や、使われた後土に還るかどうかまで、考えてもらえたら有難いですね。また、塗装されているので、本来の木が持つ機能は失われています。僕たちの製品は無塗装・天然無垢で生きている木なので、使うほどに風合いも変わります。しかし、木が持つ天然の抗菌作用が生きています。
きっかけは流行りでも構わないですが、本当のSDGsとは何かを考えていただけたら有難いです。

日本古来の、ものに感謝し、ものを大事に扱う文化を守りたい 

― 子供たち向けにも、ワークショップ「つねキッズプロジェクト」を展開されていますが、これはどんな想いでスタートされたのでしょうか?

ものに感謝する、ものを大事に扱おうとする日本の文化をもう一度見つめ直す必要があるように感じて、子供たちが書いた絵柄の木の弁当箱をつくる体験プロジェクトを開催しています。子供は素直だから、喜んで弁当箱を作るし、木が生きている話も一生懸命聞いてくれます。そして、最後に「両手で『ありがとう』と言って、大切に弁当箱を持って帰りや~」って話すと、その通りにしてくれます。

世の中便利になり、100円ショップでいろいろ揃うようになりました。お母さんは手軽に使えるから100円のコップを子供に与えたがります。でも、だから、すぐ割ってしまうんだと思うのです。このままだと便利に流されて、大事なことからずれていってしまう気がします。

人って、自分で作ったものは大事にしますし、さらに、自分で書いた絵が弁当箱に描かれていたら、大切な思い出の品にもなります。「幼稚園の年長の時に作った弁当箱を、中学三年になってもまだ使ってんねん」となったり、子供がお父さんの絵を書いた弁当箱を、会社でお昼休みにパッとそれ見たら、お父さんも仕事の嫌なことも忘れてちょっと心和みますよね。だから、この体験プログラムを広げて、子供たちみんなが木の弁当箱で食べるようになってほしいです。うちの木箱は、全部柄が入っていますが、これは、子供たちに持ってほしいから絵柄を付けました。先代のじいさんに言わせてみたら「邪道」でしょうし、曲げわっぱの職人さんから言えば「せっかく綺麗な杉板をなんで傷つけるのか」と思うでしょうね(笑)

それから、「弁当」というこの日本の伝統文化を守って残していきたいという思いもあります。お母さんって、毎日朝起きて眠たいのに子供のために一生懸命お弁当を作るじゃないですか。あの箱の中に愛情が詰まっていると思うんですよね。「これ今日残さず食べるかな」と母親が思ったり、「今日は残してきた」と子供が話しかけたりすることで一喜一憂したりして。たかが弁当箱だけど、すごく重要なアイテムじゃないかなと思っています。

自然の循環、森と海はつながっている

―「木の国日本プロジェクト」にも取り組まれていますね。どんなメッセージを伝えたいのでしょうか。

自然は循環しているということを“自分事”として感じていただきたいです。
日本は国土の7割が森林の国なのに、木材の7割は輸入に頼っています。それを知ったとき、ものすごいショックでした。どうしてこんなに木がたくさんあるのに、国産を使わず、外材を、それも漂白剤など薬品が使われたものをたくさん使うのかと思いました。

杉・檜などの針葉樹林が多く立ち並ぶと、その下にある背の低い広葉樹林に日が当たらず育たず、広葉樹林からの落葉が減り、質の良い腐葉土が作られず土が肥えないのです。腐葉土は、降り注いた雨水を濾過して栄養分を豊かな含んだ豊かな水を川に流す役割があるのですが、それがないので水が痩せてしまうんですね。さらに、その痩せた川の水が海に流れても植物プランクトンが発生しないので魚が獲れなくなるという悪循環が生じています。つまり、漁業と森はつながっているのです。

そこで最近、和歌山県すさみ町と漁業を助ける新しい取り組みをはじめようとしています。すさみ町は漁業の町なので、魚が獲れないことは地域としては喫緊の課題。その問題は、戦後植えられた杉・檜であるということで、それらを伐採して広葉樹林へ植え変えようというプロジェクトに力を入れることになりました。ところが、針葉樹林を切るのはいいけれど、活用方法がないということで、当社に製品化してほしいと、プロジェクトに声をかけていただいたのです。

みんながこのような自然の循環に気づき「日本は木の国なんだ」と意識すれば、中国製と日本製が並んでいたら「ちょっと高いけど、日本製を使おう」という意識が生まれてくるのではないかと思います。そういうことが広がれば、未来の子供たちに、もっと綺麗な森や海を残せると思うんですね。

”守り人”でありたい

― 今後、社会に対してどのような役割を果たしていきたいですか?

自然に感謝し、ものを大事にしてきた日本の心を親から子に伝えていく、そのきっかけになりたいですね。それができたら、昔のものを大事に丁寧に暮らしていた、いい日本になるのではないかと思っています。そのためにも、子供たちが直接ものに触れ、感じることができるプロジェクトを今後も取り組んでいきたいです。一番素直な心を持っている子供たちと、森に一緒に行き、木が生きていること、自然が循環していることを教えていくことで、“他人事”ではなく“自分事”で考えるきっかけにしてもらいたいと思っています。

僕たちが社内で大事にしている言葉は、「”守り人”でありたい」という言葉です。森を守るだけじゃなく、ものを大事にする想いを守る、親子のコミュニケーションの間に木箱があることで家族を守る想いを育てる。そういう願いです。
木箱って、私達の人生のいろんなステージでいろんな想いを詰めるものとして身近にあるものなんですよ。生まれたとき、へその緒を木箱にしまいますよね。最後、死んだら木の棺桶に入りますよね。人生いろんな節目で大事なものを箱にしまいます。私たちは木箱を作っていますが、みんなの大切なものを守る箱を作る会社でありたいと思っています。


笹井社長の”座右の銘”
「Keep Change」
江戸末期から伝統を守ってきている箱屋だって言いながら(笑)
実は僕、もともと家業は継ぐ気が無くて、パイロットを目指してアメリカに留学していました。その時に「これも個性」「あれも個性」と、圧倒的な多様性に溢れた、日本と違う文化に触れることができました。日本は、間違わないことが正解ですよね。テストだって、様々な答えが認められるのではなく、決まった答えを出すことが正解。「こうあるべき」という考えが根底にあるから、みんな生きづらいんじゃないかな。
僕は、技術は引き継いでいるけれども、実は心の中では変わり続けいます。江戸末期から木箱は作っているけれど、その当時とは違うものを作っています。だから「伝統工芸士登録したらどうですか」とよく言われますが、僕は興味がないです。
最近、二十歳の女性が入社してくれました。僕の妻もいろんなことを取り組んでくれています。これからは女性の感性でまたいろんな展開をし、世の中に受け入れられ続けるように変わり続けていきたいですね。


投資担当者からひと言
笹井社長から、木や木製品に関することをいろいろと教わりました。私たちが普段何気なく使っている木製品が、価格を追求する過程で失ったものに気づかされたと同時に、木が本来持っている特性に触れたいと感じました。私は曲げ皿を愛用させていただいていますが、木の香を感じながら優しい曲線のお皿でいただく茶菓子は格別で、心が豊かになった気になります。
(尾川 充広)
 
インタビュアーからひと言
会社が苦境に立たされた時、厳しい道とわかりながらも、敢えて自分が胸を張れる道を選択した笹井社長。その行動は、自身の会社を立て直すだけでなく、もっと大きく世の中を俯瞰して捉えての警鐘を鳴らす行動だったのだと感じました。本当のSDGsとは何か。きっかけから本質を掴んでいけるかどうかは、私たちひとりひとりが、一歩立ち止まり、考えることをできるかどうかにかかっていると感じました。
 
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