映画「パットマン」の体に染みついていたもの
結末はわかっていても、そこにたどりつくまでが苦しくて見てらんなかった。真夜中に少女にナプキンを渡したり実験に失敗して河に飛び込んだり。
でも恥ずかしげもなく書くとなにかを成し遂げるということは往々にしてそういうものなんだろう。失敗を重ねて恥ずかしいところを人に見られて、理解されなくてとがめられていろんなものを失って。
でも彼がナプキン作りをやめなかったのはチャレンジ精神よりも根性よりもたったひとつ、妻を失いたくない、があったから。
ゆくゆくはその思いから妻以外のだれかを助けたい、が原動力になるけれど根本はいつも奥さん。
彼が機械を作れることも妻思いだったことも
新しい村でパリーと出会ったことも全部ゴールに向かう一本の糸でつながっていて。
それはすごくふしぎなことだけどそれ以上に途中で彼がナプキン作りをやめる機会はなんどもなんどもあって。でもそこで糸を切らずにむしろ糸を何重にも重ねて強く闘志を燃やしたことがふしぎなほどにすごい。
おそらく彼が村を追い出されたとき恥を尊敬に変えてやる、と意欲を出したのはもう道を戻れなかったからだろう。戻る道がなかったわけではない。戻るよりすすむほうがむしろラクだからだ。
そう思うのはわたしが勉強中の英語を思い出したからだ。3ヶ月前から英語教室に通っている。
実際始めてみると英語を習得するのはラクではない。
毎日、単語を50ほど覚えて音読練習を重ねて文法問題に取り組む。英作文とTOEIC模試もたまにやる。通っている英語教室は3ヶ月限定でパーソナルトレーナーが付くのだが先日わたしは3ヶ月を終えひとり立ちした。それから1週間が経ったが今のところ勉強は続けられている。
なぜならば3ヶ月で体に染みついた習慣を変えるよりもルーティーンを守るほうがよっぽどラクだからだ。
わたしが勤勉なのではない。夜10時になれば勝手に机に向かっている。人間の脳は習慣を変えたがらないと聞いたことがあるがそれは当たっている気がする。
映画のはなしに戻ると彼にとって妻のために行動することは習慣で、ナプキン作りもいつしか体に染みついたものになっていた、と言ったら
感動が半減してしまうだろうか。
本当は習慣になるほど諦めず続けたことが一番すごいのだけれど。