読書の日記(5/8-14)
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自然光の銭湯、お好み焼き、読書の負担/コナンとの別れ、アウトカム、『Number』/ウォーキング構想、深夜4時の筋トレ、『インターネットは言葉をどう変えたか』/ぶばいがわら、むかいがわら、やっほー/雷雨、『アナリシス・アイ』、アミノバイタル/Gatherのリブート、先に立たない後悔、こんな働き方続けられないぞ?/よく笑う日、タンメン半チャーハン、サッカー難しい/4-4-2、『百年の孤独』、『モレノの発明』/ウォーキングの予行演習、暇日曜、雨の日の銭湯/ブライトンとアーセナル、柿ピーとピーナッツ、俺がエンシソ
5月8日(月)
起き、太田さんとミーチング。そのあとご飯を食べてまた布団に入った。コナンを少し読んだ。寝て起きたら15時だった。少しすると銭湯に行った。なんとなく浴場の様子が違うと脱衣所から感じていたが、入ったらその理由がわかって明かりがついていなかった。だから自然光の銭湯で、付け忘れなのか、明るい時間はわりとこうなのか、初めてのことだった。体を洗って湯船の縁に腰掛けていつもそうするようにしばらく下肢だけ温めながら無表情でつくねんと立ち尽くす山田太郎の様子を思い描いていると、光の様相が徐々に変わっていった。脱衣所の壁の上に大きな窓があることはこれまで認識していなかった。きっとこれまでは浴場内が明るかったから向こうはそんなに見えなかったのだろう。こちらの明度が小さい今、その大きな窓から入る暮れかけの陽光が際立って見え、それは脱衣所と浴場を隔てるくぐもったガラス窓を通り、洗い場の上の水色のタイル壁に流れ込んでそこでさーっと広がった。フェルメールの牛乳瓶の絵みたいな光がそこに現れて、あの絵にどんな光があったのかは思い出せないからいい加減なものだが、そういう印象の光が現れて、美しさに目を見張った。この時間は老人たちの時間なのか他にいるのは大半が老人で、彼らもあの光を見たか。
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