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人の読書離れを憂うな 『本の読める場所を求めて』全文公開(11)

第2章 いったいなんなのか、ブックカフェ
⑪人の読書離れを憂うな

若者の読書離れが深刻です。

よく聞く話だ。聞くたびにげんなりした気持ちになるし、飽きることなく強い憤りを覚える。

本を1カ月に1冊も読まない大学生がこんなにいます……この数値は10年前の調査と比べて10%高くなっています……原因はスマートフォンなど情報機器の普及でしょうか……たいへん嘆かわしいことです……。

こういう言説が成立する背景には、読書というものを、「有益で、立派で、すべきおこない」とする認識のモードがわりと広くあるのだと思う。

もちろん本というものが必要な知識を得るために読まれる場合があることはまったく否定しないけれど、「読書が好きなんです、読書が趣味なんです」という人にとってそれは、そう、趣味だ。娯楽であり、喜びだ。

読書が趣味の人にとって読書はあくまで趣味であって、たくさんの可能性の中から選択されたひとつの趣味以上の何ものでもない。アニメ鑑賞でも映画鑑賞でも編み物でもアウトドアでもなんでもいいけれど、その趣味を持つ当事者の人生にとってそれが重要なものであるのとまったく同じ意味で重要なだけであって、その趣味を持つ当事者がその趣味を持たない人に対して、「アニメを観(映画を観/編み物をし/キャンプをしてチャイをつくって寒空の下で仲間たちとチルな時間を過ごさ)ないなんて由々しきことだ」と嘆くことがバカバカしいのとまったく同じ意味で、「読書をしないなんて由々しきことだ」と嘆くことはバカバカしい。

それなのに読書というものは、どうしてだかこういう扱い方をされやすい。あたかも大切なもの、どの人もすべきもの、そういう前提で問題を立てられやすい。

たとえば文化庁が実施している「国語に関する世論調査」(平成30年度)を見ると「読書をすることの良いところは何だと思うか?」という問いが発せられていて、そして最も多くの人が選んだ答えが「新しい知識や情報を得られること」になっている。

これなんかは、問いを発する側も答える側も、「読書とは、誰もがすべき、大切なものだ」という神話に支配されているようにしか思えない。そしてその読書人口が減少している事実を持ってきて、「新しい知識や情報を得られる」大切な読書から人が離れている、これは由々しい、そう言ってメディアなどは憂う。本当にバカバカしい。他の趣味に対しても同じことを言ってみてもらいたい。

「アニメを観ることの良いところは?」

「編み物人口が減っている……」

繰り返すが、読書によって知識や情報に限らず新たな学びや気づきや教訓を得ることはある。しかしそれは他のあらゆる趣味がその実践によって新たな学びや気づきや教訓を得ることがあるのとまったく同様に、ある、というただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

読書を特権化してはいけない。

こんなのは僕らの実感─今ここで僕は勝手に「読書が趣味です」という人全体を「僕ら」という言葉で暴力的にくくってしまったのですが─からは大きくかけ離れている。

読書は楽しい、だからする。

読書は心躍る、だからする。

「良いところ」とかではない。好きなんだ。どうにか生き続けていくために、なくてはならないものなんだ。かけがえのない大切な趣味なんだ。

本というもの、読書という行為に対して愛と敬意のない人間だけが発することのできる問い、嘆き、そんなものはクソ食らえだ。あるいは犬にでも食わせておけ。犬には本当に申し訳ない。犬に謝れ。

それに、(あくまで利己的な理由から)本というものがよりポップでよりクールなものになっていけばいいのにと思っている人間としては、こういった論調は本および読書のイメージ向上を邪魔するものでしかないので積極的に有害だ。

それはどうやら「良いこと」らしい……新しい知識や情報を得るために触れるものらしい……でもそれに触れる若者たちが減っているということで憂い嘆かれている……そのわりに憂い嘆いている年長者たちの読書人口も減っている……「しろ、しろ」と言う人間がしていなくて、する人が減っていて、しかしすべきもの、なんていうものごとに人が引き寄せられるわけがない。引き寄せられるのはワクワクや欲望を感じたときだろう。無駄な嘆きの姿は本来ある魅力すら削り取る。本当に迷惑。

笑顔を、見せなさいよ。憂い嘆く前に、楽しむ姿を見せなさいよ。楽しく読む姿を見せなさいよ。嘆くにしても、せめてそれを徹底的にやってからにしなさいよ。それができないんだったら頼むからそのろくでもない口を閉ざしなさいよと、おためごかしの不真面目で深刻な憂い顔みたいなものを見かけるたびに僕は、いつも、「さすがにちょっと怒りすぎなのでは?」というくらいに憤っている。






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