春の枯れ木
春の、桜や桃、蒲公英の黄色に囲まれて何も咲かない木が一本あった。
葉はなく、花もなく、水気も消えた、枯れ木が一本。
普通に歩いているときは気付かないくらいの、小さな木ではあるけれど、なんだかどうしてか、今日はやけに目立って見えた。
周りを花々に囲まれて、みるだけならば華やかだ。しかし今日は、華やかにも思えない。
寂しいものだ。華やかさに囲まれて枯れているというのは。一人、冬を越えられず、動くことも出来ず、だからと言って姿を消すことも出来ず、華やかさに埋もれて立っている。
惨めだ。
ここから、この枯れ木は周りの花々が鮮やかな若葉を生えさせるのを眺める事しか出来ないのか。太陽を一身に浴びて、すくすくと育つさまを眺める事しか出来ないのか。枯れ落ち、紅葉となって、人々を春の様に喜ばせることも出来ず、眺める事しかできず、そうして、春を待ちわびる冬を迎えるのか。
そうしていつか、枯れ木自身が崩れ、土に沈み、新たな生を視止めることなく死ぬのだろうか。
枯れ木は己ではないのに、己は枯れ木ではないのに
どうしてか、哀しくて、惨めで、苦しくて仕方がない
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