眩しい讃歌
雨上がりの朝、濡れた歩道にふりそそぐのは命の讃歌だった。
瑞々しい若葉の間から浴びせられる、セミの大合唱。
途切れることなくなり続けるそれは、まるでシャワー。
私はそれが嫌いじゃない。
むしろ少し笑ってしまうし、また、感心したりもする。
雨上がりが一層爽快になったりする。
たぶん、余力を残さない、ということに、真っ直ぐな生き方を感じるんだと思う。
そういう意味では、セミは私たちとは対極にいる。
私たちは大抵、明日のことやそのもっと先のことを考えながら配分して生きている。
最大火力で燃え続け、最大火力で燃え尽きる。
そんな刹那的な生き方は、あまりに惜しい気がする。
間違っても自分がそうなりたいとは望まないのに、どうしても眩しく、
そうはなれないからなのか、胸の底に憧憬の念をわかせる。