野遊びで「梅をかざす」とは
ももしきの大宮人は暇(いとま)あれや 梅をかざしてここへ集まる
作者不詳 『万葉集』巻十・1883
訳:宮中の役人たちが 時間があれば 梅を頭に飾ってこの野原に集まることだ
この歌、現代人にとってはどういう情景なのかピンときません。
一体、どんな状況なのでしょうか。
「梅をかざす」という言葉がありますが、「かざす」とは髪や帽子につけることで、古代や奈良時代の呪術行為でした。つまり梅という花のパワーを頂き、身につける、ということです。
元気がなくなった魂を再生するという「たまふり」という呪術行為にあたります。
現代では行われませんが、古代は普通に行われていました。
春。
花が咲く、ということは新しい命の再生で、その新しい命のパワーをいただくことを「かざす」ことによって行っていたのですね。
そして、新しい命が誕生する春の野原に出かけて行って、楽器を演奏したり、踊りをおどったり、食事をしたり、酒を飲んだりして心を楽しませて野原に遊ぶ。
万葉時代はそのような光景がありました。
・・・・・梅や桜は春の主役級の花。
梅は奈良時代から『万葉集』に詠われ、『古事記』に登場する桜はさらに古くから親しまれてきました。
春、野原に出て自然に親しみ、宴を楽しむ。
その様子が次の歌からもうかがえます。
青柳(あおやなぎ)梅との花を折りかざし 飲みての後は散りぬともよし
笠沙弥 『万葉集』巻5・821
訳:柳や梅の花を折って頭にさしてかざしにして 酒を酌み交わそう 飲んだ後は散ってしまってもよいのだ
春、人々は外に出て、豊かな自然を心から楽しんだのでしょう。「野遊び」は大切な春の行事だったことがわかります。
『万葉集』から読み解く古代の行事「野遊び」の様子。
現代人が失ってしまった古代の人々の豊かな感性がちりばめられています。
↑ 昨日、馬酔木(あせび・あしび)を見つけました。馬酔木もまた『万葉集』に詠われています。3月が見頃。