バックヤード:本格サメ映画『ロスト・バケーション』を観る
自分で言っといて何だが、本格サメ映画って何だろうね? サイボーグのサメとか、実はサメは宇宙人だったとかじゃあなく、サメはヒャッハーって人間を食いまくるけど、人間側のドラマもしっかり描いている的な映画かね?
先に『セーヌ川の水面の下に』を観たが、今回、『ロスト・バケーション』を観た。『セーヌ川』のほうは人間の環境汚染のせいで突然変異したサメ群って話で、ぶっちゃけ本格派とは呼べないのかもしれないなあ。
そういう観点では、『ロスト・バケーション』は、サメ、主人公、カモメが主たる登場人物で、サメ側には特殊な事情はない、いたって真面目なサメ映画だった。
一旦、話の流れをラフに列挙してみる。
以下、ネタバレ含みます。
話の流れ
メキシコ。砂浜で遊んでいる少年が、打ち上げられていたアクションカメラを拾う
<時間過去に>死んだ母親が教えてくれた秘密のビーチを、現地の男に案内してもらい訪れるナンシー。母親はナンシーを妊娠している時に、そのビーチに来た。(ママと私のビーチ)
一緒に来るはずだった友人の女性は、二日酔いで来られず<何だったんだ、この友人>
サーフィンを始めるナンシー。先客のふたりのサーファー(男性)と知り合う
ビーチで休憩中、ナンシーはスマホで妹と会話し、その後、父と会話。医学部をやめようとしていることに反対される。「ママは必死に戦ったぞ」と父は言う
サーフィンを再開し、夕暮れの海に泳ぎだすナンシー。男たちは先に引き上げる。
海に浮かんでいるクジラの死骸を発見
ナンシーはサーフィン中にサメに襲われ、脚に傷を負う。クジラの死骸によじ登る。車で帰っていく男たちに叫ぶが、届かない
再びサメが襲撃してきて、引き潮でできた岩場に逃れる。足裏も怪我をする。自分で手当をする。サメの襲撃に巻き込まれ傷ついたカモメも一緒
岩場でひと晩過ごすナンシー。朝、浜辺で寝ている酔っぱらいに気づかせることができたが、彼はナンシーのバッグを盗み、浮いているサーフボードを拾おうと<ちょっと意味不明>海に入ってサメに食われる
昨日のふたりのサーファーが来て、「ここにはサメはいない」と言いながらサメに食われる
ナンシーはしばらく破損したサーフボードで陽を避け眠っていたが、起き、カモメの脱臼した翼を直してやる
ナンシーはサメの行動パターンを学び、サーファーがヘルメットにつけていたアクションカメラを拾いあげる
満潮で、岩場が海に沈んでいく。少し離れた場所にある灯浮標(ブイ)に行くしかない
遺言代わりの動画を残す。「ママが戦ったように戦う」
灯浮標に向かうナンシー。途中の海中には危険なクラゲがプカプカ。それに助けられるが、肩を刺される
灯浮標にたどり着き、遠くを移動していく船を発見。銃型の発煙筒みたいなもので知らせようとするが失敗
襲ってくるサメを、発煙筒で攻撃。サメは灯浮標を固定している鎖を引きちぎって、転覆させようとする
<時間つながる>アクションカメラを拾った少年は、内容を確認し、走り出す
海に投げ出されたナンシーは、灯浮標を固定していた鎖が外れて海底に引き込まれるタイミングでサメを引き寄せ、海底に突き立った錨の金属群にサメを貫かせる
少年に呼ばれてきた現地の男が、海に浮いているナンシーを助ける。ナンシーは、母の幻を見る。カモメは無事だった
<一年後>ナンシーは妹と一緒にサーフボードを抱え、テキサスの海に向かう。砂浜で父親が、「ドクター」と呼ぶが、まだドクターではない
うーん、『セーヌ川』より単純な話のはずが、なぜだか『セーヌ川』よりもごちゃついた感じだな。意外に仕掛けがあるのか? 検討してみる。
検討
まず物語が動き出す「欠落」としては、「母の病死」があるんだろう。医学生であったナンシーは、それによって医学部にとどまる意味を見失っている。最終的には、彼女は医学部に戻った模様なので、「主人公が成長しながら、螺旋状に元の場所に戻る」パターンなんだろうな。
段々分かってきたのは、サメ映画のフリをしているが、この話は母と娘の物語のようだということ。ストーリーの各フェーズの中に、その要素を拾ってみる。
成長前
島
ナンシーは、海の中の島を見て「妊娠中の女性」だと言う。事実、母はナンシーを妊娠中にこのビーチに来た。映画の中、この島は何度も映される
ビーチ
死んだ母親が昔訪れた「名前のない美しい浜辺」に来るって、母と娘の<無時間の>楽園みたいな感じを受ける
面白いのは、ビーチの名前を聞かれた男たちが、一様に教えないことだな。「教えたら君を殺さないといけない」と言った男もいた。名前を教えないことでの聖化か、男が口にしてはいけない隔絶した空間=無時間なのか
事件
サメ
ナンシーにとっては親しい母体であった海に現れる異質なもの。クジラの死骸、攻撃者としてのサメ
母を奪った、混沌とした世界のイメージ?
世界の混沌としてのサメ? 深い海の底から不意に襲ってくる
カモメ(スティーブン・シーガル)
これはナンシーのオルター・エゴなのか?
「脱臼で飛べなくなっている状態」ってのが、いかにも「母の病死で、医学に挫折しかかっている娘」って感じがある
治療
ナンシーが母の勇気を見習って、灯浮標に向かう前に、カモメの脱臼を直し、海に送り出すのは、彼女自身の心の一部を修復し、混沌とした世界に立ち向かう決意のように見える
この前に、ナンシーが陽を避けながらずっと眠っているシーンは、ある種の母胎回帰のような感じを受ける。背後には、あの島
母性の連続体
母:ナンシー の関係が、ナンシー:カモメ の関係に広がっているようにも感じる。母性的なものの連携か?
笑っている大きな太陽と小さな太陽が横につながるタトゥーが、ナンシーの足首にあった
これは母と娘を表現している?
成長
母性の連続体
気がついたナンシーは母親の幻を見る
妹を連れ、「海」に再び出ていく
当然、発生すべき恐怖は制御されている
ナンシーは、「お姉ちゃんみたいにサーフィンできるようになるかな?」という妹に、「無理」と断言する。伝統的な技法を「教える」「教わる」の関係を感じる
母とナンシー の関係が、ナンシー:妹 の関係に広がっているのかな?
いやー、こうして整理すると、やっぱり母と娘という伝統的な関係(良かれ悪しかれ)の上に乗った物語だって感じがするなあ。ここでの男は、「ただ食われる者」だな。
ちょっと気になったのは、あのサメは果たしてメスだったのか、オスだったのかってことだ。それによって、色んな意味合いが変わってくる気もする。そんなこと言い出すと、カモメの性別も気になってくる………。
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