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バックヤード:妄想の技法

妄想って重要

 妄想が、創作者にとってアイデアの源泉のひとつであることは間違いないだろう。自分の中に存在する他者、カオス、野生………。我々は、その源泉から「自分に属しているとは思えない何か」を汲み上げ、時に創作の萌芽とする。


妄想は難しい

 ただ、妄想することは難しい。「んなもの、ただボーッとしてれば良いだけじゃん」というのは、入り口の態度としては間違っていないが、それだけでは、汲み上げるモノの質は知れている。
「じゃあ、やっぱ有用なことをひねり出そうと一所懸命考えてんじゃん」
と突っ込まれると、それは違うと答えるのだが、どう違うのかを説明することに困る。
「自分の中に、内部とも外部ともつかないアイデアが流入してくる状態というかバランスを作り出す
くらいが正しいのだが、今日びの悪い風潮で、「あ、それ、スピってる?」などと安易に言われてしまう。

 あのね、人類が生まれ、ある種の霊性とコネクトしてきた膨大な期間からすれば、日本人の「なんちゃって無宗教で、その手の領域をスピなどと称して斜め下に見るスタイル」なんてのは、世界的には無茶マイナーな、浅い、子供っぽい精神性でしかないのだよ。まあ、スピの対象も玉石混交ではあるが、それは今に始まったことではない。

技法はある

 そんな人は置いとくとして、妄想にも技法が必要なのは確かだ。正しい妄想法などと定義はできないが、ある種のスタイルらしきものは存在する。で、今日は私の考える(色んなとこからパクってきた)妄想の技法を記録しておきたい。あっ、薬物やある種のマッシュルームなどを使った妄想には触れていないのであしからず。


マインドマップ

 いきなりビジネスマンのライフハック的な技法で申し訳ないが、これはありだよね。私がマインドマップを始めたのは、あるシステムを開発する際に、結局、このクライアントは何をしたいのか? ってのがいくらヒヤリングしてもつかめず(フワッとした方向性しか考えていない客ってのは結構、いる)、それを整理するために使った。当時はマインドマップが走りの頃で、日本語の本もほとんど出ていなかったかなあ。
 ただまあ、マインドマップはコアとなるコンセプトからブランチを伸ばしていくものなので、まったくのノーアイデアからの妄想には向いていないかもしれない。後、妄想特有の「非論理的ジャンプ」みたいなものも、分岐前提の特性上、発生しにくくなるかもしれない。

ノンストップ・ライティング

 これは読書猿さんの『アイデア大全』に書かれている技法だが、タイマーを15分にセットし、自分の中から沸き起こるアイデアや考えをとにかく書きまくるというもの。その際、自分の中に居る批判者は一切、介入させないように、そ奴を置き去りにするスピードで書きまくる。レヴィ=ストロースも、似たような書きなぐりから仕事を始めていたという話もある。
 私が最近主に使っているのは、この技法かなあ。フワッとしたアイデアだけがあって、これをとにかく発酵させたい時などに使う。15分、集中して浮かんでくる言葉をノートに書き出し、後で赤ポールペンでコメントしたり、要素間をつないでいったりする。そうすると、ある種の構造が浮かび上がってくる、こともある。

DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)

 これまた流行りモノではあるかな。注意すべきは、これって神経活動のある状態を指している感じで、何らかの固定的な技法を定義しているわけじゃないところだよな。非集中によって意識の境界を広げ、カチカチになった脳をリラックスさせて予想外の発想を得たりする。鬼殺隊には「全集中、言っただろ?」と怒られる可能性あり。
 DMNでの妄想の技法的としては、毎日、心をさまよわせる時間を確保する、五感を使ってイメージの質を高める、なんてのがある。DMNに関しては、『究極の思考法』(スリニ・ピレイ)に依っているが、創造的な脳をつくるための方法論という内容だ。

声を聞く

 怪しい話に聞こえるかもしれないが、私の場合、物語を考え人物設定がある程度見えてくると、頭の中で、人物同士の会話が始まることがある。
「やっぱスピってんじゃん」とか言わないで欲しい。幻聴とか、そんな話でもない。
 感じとしては、例えば本を読んでいる時、おそらく貴方は人物が会話をしているシーンのセリフを、頭の中で再生しているはずだ。アレが、対象となる文字列が(まだ)ない状態で、頭の中で始まると思っていただければ良い。誰でも可能な技法なのかは、ちょっと分からないが。

夢を記録する

 大昔、正木ひろしさんの対談を読んだ中に、夢を記録しているという話があり、「ほー、そんなことするんだ」と、自分でもやってみた。

 1982年の1月から1988年の5月までで、記録した夢は1804。いやー、暇だったんだな、私。記録している中で、地下の書店や、U字型の田舎道といった、比較的良く訪れる場所のパターンがあるのも分かった。他人の見た夢の話ほど興味をもてないものもないけどね。
 妄想という点に関しては、夢ほど効率の良い技法はないかもしれない。眠って、後は夢を覚えておけば良いだけなんで。
 私が感じているのは、人間の意識ってのは、夢の記録者としては役不足と言うか、おそらくロジックが大きく異なって、正確には記録できない、解釈が間にはいる部分があるんだろうな、ってことだ。起きた状態での妄想の記録に関しても似たようなものかもしれないが。
 最近作成したショートショート、『祭りの夜』は、出だしを除いては、ほとんど、見た夢のままになっている。


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