見出し画像

人生の傷が贈り物となる

2023年2月29日、水曜日。
今日も頭が痛かったり身体が重かったのですが、それをちゃんと言葉にしたことでだいぶ良い1日を過ごせた感じがしています。


「頭が痛い」ということについて、
ある人が「自分に嘘をつくと頭が痛くなる」と言っていました。
色々身体のコンディションや負荷も影響するとは思うものの、それを聴いて「たしかにそうかも」と思いました。


私は一時期、偏頭痛がとてもひどい時期がありました。
大学生から社会人4年目くらいまで、1,2ヶ月に1回は偏頭痛が起きていました。
目がチカチカしてきて、そうしてしばらく経つと強烈な吐き気と頭痛がしてきて、どんな痛み止めも全然効かず、治るまでに4,5時間はかかる。
そんなことが続いていました。

食べるものを工夫したり、色々対策したものの、
全然治る気配がなかったのですが、
あるときから偏頭痛がなくなりました。

その変化ってなんだったんだろう?と振り返ると、
少しずつ自分に嘘をついたり・ごまかしたり・言い聞かせたりするのを辞めていった時期と重なります。
(そしてその後、また自分をごまかす時期が復活して、偏頭痛も復活してしまうということも起きます)

そうやって、自分を裏切れば裏切るほど、
意識では気付かぬうちに自分にストレスが溜まって頭痛が起きたり体調に変化が表れたりするものなのかもしれないな…と思います。

私は育ってきた環境など色々な原体験から、
「周りの人を元気づけよう」
とする癖があるのですが、それが行きすぎると目の前で起きていることが正しく捉えられなくなってしまったり、
自分を欺くのが上手くなってしまうなと思います。

自分は本当は悲しい・つらいのに、
それを見せて心配かけたくないから元気に振る舞う。
そういうこともあっても良いし、それが必要なときもあるとは思うのですが、
行きすぎると自分のことまで騙して本当の自分の気持ちが分からなくなってしまいます。

そうやって私は、
「周りの友達や家族に対して嫌だと思うことが1つもない」
「感謝しかない」
…と生きてきて、友達にも不思議がられることが多かったように思います。

「こんなに人の悪口を言わない人を見たことがない(何か裏があるに違いない)」
「怒らなさすぎて・ポジティブすぎて新しい人種に思える」
とか、色々言ってもらったこともありました。

自分ではそれがあまりにも当たり前で普通だったから、自分でも自分のことをそういう人だと思っていました。
でも、今思うと、「嫌だと思う感情が一切ない」ってすごく不自然だなとも思います。
そうやって言ってもらったときにもっと周りの声に耳を傾けて、内省できたらよかったのですが、今さらながら少しずつ自己理解が進んでいます。

そうなったことにも色々背景はあるのですが、
昔、大切な人に「死にたい」と言われた体験が自分の中で大きいなと思います。
(本当にそう思っていたかどうかは別にして、冗談でも衝撃的な言葉でした。)
そう思う気持ちが全然理解できないし、悲しいし、死なれてしまったら困るし、怖い…
全く理解できないけど、出来る限りなぜそう思うのかを理解したい。
自分の存在が生きる希望になってもらえるようにしたい。
そうやって、とにかく相手の背景を理解して、なぜその人がそうなってしまうのかを必死に理解しようとしてきたし、相手を元気付けることを何より最優先で生きてきたように思います。
それが良いことだと思っていたし、当時の自分の精一杯・ベストな選択でした。

それによって、
誰かの気持ちや繊細な心の変化に気づける力が身についたり、
自分がどうしたいか?よりも、常に相手の気持ちを察知して先回りして相手がどうしたいか?に全力を尽くして考える癖がついたり、
自分の感情に蓋をして「相手にとってどんな自分でいたら良いか」を考える癖がついたり、
良くも悪くも色んな癖が身についてきたんだと思います。

それによって、良かったこともたくさんあるし、良くないことを引き起こしてしまったなということもたくさんあります。

でもこういうことは私だけでなくて、それぞれが人生でたくさんの経験を重ねて、たくさんの傷を持っているんだなということもやっと最近わかってきました。
(そして私のように、傷なんて1つもないと思い込んでいた人・そう思っている人も含めて、人間だからこそ感じる恐れや不安や動揺…そんな経験を誰もが持っているのだと思います。)

色々ありますが、私は、
ティール組織のフレデリック・ラルーさんのお話やセルフ・コンパッションで書かれている、
それこそがギフトであるという捉え方に共感しています。
人生の傷が贈り物となる。
結局、私たちは人間だから、色んな癖やバイアスに翻弄されたり、間違ったり…色々ある。
でも、それを借りることでニュートラルな感覚も磨ける。
今までの人生で身についた癖やバイアスがあることがダメなのではない。
それに乗っ取られて使われるのではなく、その癖やバイアスを借りて大事なことに気づいていける。

そうやって、目の前の出来事や自分を観る目を養って、自分に与えられたギフトを本当の意味で周りの人たちのために活かしていける生き方をしたいです。


※ふうちゃんさんのイラストを使わせていただきました。素敵なイラストありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?