125ccで日本一周 西日本編 #1 埼玉県朝霞市〜徳島県徳島市
9月9日、日も落ち始めた朝霞の夕暮れに私はいた。
キャンプ道具と服一式、何かあっても簡単な故障ならすぐに直せるくらいの工具、パンクした時のチューブ、大量の煙草、夜にフラッシュバックする苦しい記憶から逃れて早く意識を失えるためのウイスキー。
そろそろ走行距離が6万キロになろうとしているCT125に半ば無理やり詰め込み、親に挨拶を済ませた。
「一日一回は今いる所の写真送るんよ。家族みんな心配しとるけえ」。埼玉に引っ越して20年経っても抜けない広島弁で、母は私にそう言い聞かせる。「わーってるよ」、と私は返した。
「無事で帰ってくるんよ。身一つでもいいから。」
ヘルメットを被ろうとしていた私に、母はそう言った。
……タバコは少し置いていこうか。荷物を少し軽くして、私は朝霞野の、帰宅ラッシュで混み合う住宅街を抜け出した。
ガチャン。鍵を閉める乾いた金属音が私の不安を一層に掻き立てた。
とにかく、西へ。今回の目標であった。
旅の相棒
今回もこいつに乗っていく。CT125・ハンターカブだ。
今回はキャンプ泊をするつもりだ。なので前回の東北一周に比べて格段に荷物が増えている。しかし、それでも特にびくともしないCT125には脱帽である。
スピードは出ないし旋回は不安定、登り坂では失速するし加速は本気を出した軽自動車より遅い。しかし、カブシリーズの信頼性やメンテナンス性、堅牢さは、まさに「日本一周用バイク」という称号をこいつに与えるにふさわしいだろう。
9月9日 18:00 @埼玉県朝霞市
朝霞を出て国道254号線、練馬区に入って笹目通り、環八通りと道路を乗り継いでいく。
世界一のメガロポリス・東京はその郊外の方が渋滞がひどく、環八通りから外は酷いことになっている。
中々進まない道を私は前の車に寄生するように走っていく。
横からビュンビュンとすり抜けバイクが飛ばしていく。
私はサイドバッグを付けているので車幅感覚もバランス感覚もいつもと異なり、あまりすり抜けをしたくない。特に東京の道路は道が狭く、すり抜けに向いていない。すり抜けで得られる数分〜10数分のために命かけたくないし。
しかしこうしてすり抜けバイクを眺めているうちに、私は今、贅沢な時間を過ごしているのではなかろうかと思えてきた。
環八通り、用賀駅付近はひどく混雑するが、よく周りを見てみると面白いものが多くある。再開発が進む駅前、東京インターから出ていく車のナンバープレート、隣の車の、後部座席ではしゃぐこどもたち。
普段すり抜けをしていたら見えてこない景色が広がっていた。
私はこれから長い旅に出る。そんな贅沢な時間の始まりとして、この贅沢な渋滞があるのだ。そう思えば渋滞も案外悪くない。
前のトラックがエンジンを蒸かす。排ガスを全身に浴びた。
渋滞はクソだ。
19:30 川崎市侵入
国道246号線、厚木街道に入り、同時に神奈川県へと入った。関東屈指の交通量をギリギリ捌き切れていない246号線にて、1度コンビニ休憩を挟む。
しばらく休憩を挟んだ後にまた走り出す。
意外と神奈川県は大きい。武蔵国の港湾部と相模国をまるごと飲み込んでいるこの神奈川県はどの車もなかなかに飛ばす。
そして空冷単気筒のカブは高速走行には向いていない。快適に走れるのは70キロまで、それ以降は振動で苦行と化す。
荷物は多すぎていないか、なにか足りないものはないか、こんなにスピードを出してエンジンは壊れないか、そもそもこの過走行バイクで本当に帰ってこれるのか……不安が絶えない。しかし家を出てしまったものは仕方がない。このまま鹿児島へ向けて走っていくしかなくなってしまったのだ。
21:00 神奈川県伊勢原市
246号の2車線区間も終わり、片側1車線のローカルな道路へと変貌した。ここから御殿場の平野部までは峠道も含め、この1車線の道路が続く。
伊勢原市ではライトアップされたお城が見えてきた。気になって近くによってみたらラブホテルでため息が出た。
その奥には旧道のトンネルがあった。そのトンネルを使って246号に戻ったのだが、どうやらそこは「善波トンネル」という関東でも屈指の心霊スポットだった。
「もう死なないで 準一」みたいな看板とお地蔵様がある、というのを後日知った。そんなことも露知らずな私は、心霊スポットのトンネルをかなりでかい声でサザン・オールスターズの曲を歌いながら完全走破した。バカは風邪を引かないし幽霊も見えない。
これを書いているときに知ったことなのだが、このラブホ街にはラブホ居抜きの仏教寺院があるそうだ。行ってみたい。
21:30 神奈川県秦野市
秦野市で2回目の休憩だ。あらかじめ買っておいたアークロイヤルという海外のタバコの封を開ける。
私はこのタバコが非常に好きで、ドンキに寄ったら必ず買うし、誰かに恩を売って礼をタバコにするとき、銘柄はこれにするくらい好きだ。
甘いシナモンの香りとトゲのない味は、まるでシナモンケーキを食べているような気分だ。
広島にいたときにおばあちゃんがたまに買ってきてくれた、広島のケーキ屋さんを思い出す。
「エーデルワイス」の真っ白な、あのクリームパイを……。
秦野のコンビニを出発し、御殿場の峠越えに挑む。
峠越えと言ってもこの足柄峠は、「峠」というにはあまりにも単調なものである。峠というよりは「坂道」といったほうが差し支えないかもしれない。箱根七里を迂回するJR御殿場線としばし並走する。
鉄道が開通して間もない明治期、当時の日本には箱根峠に鉄道を通す技術が存在せず、比較的傾斜がゆるくトンネルが少なくて済む足柄峠・御殿場ルートに鉄道を通し、ここを「東海道線」とした。
後に熱海から三島まで、この坂東の地と東海をぶち抜く丹那トンネルが完成してからはJR御殿場線として迂回ルートになっている。
余談ではあるが、この丹那トンネルをぶち抜く際、トンネルの真上にある丹那盆地では水が枯れて飢饉が発生し、地元のワサビ農家が消失するという被害が起きている。もちろんこれは戦前の話ではあるが、静岡にリニアが通らないのはこの事例もあるからなのではないか、と勝手に考察している。
これより先は「政治に詳しい」御方々にお任せすることにしよう。
さて、書くことがないので余談まで入れたが御殿場市を抜け、246号終点の地・静岡県沼津市に到着した。
私は少し関東側に戻った三島市の快活で寝ることにした。
前回に東北を巡ってからもう1年弱経つ。体の衰えというものをこのとき人生で初めて実感した。
快活で、私は寝れなくなっていた。
急ぎバイクへ戻り、キャンプ用の寝袋とマットを敷いてどうにか寝れるようになったが、この後も「快活での就寝問題」に旅の終わりまで悩まされることになる。
9月10日 @静岡県三島市
あまり寝れなかった。私は三島の快活で無料のモーニングも無視し、快活を早々に出発して沼津港へと向かった。
沼津港では朝食をやっているらしく、1000円以下で中々豪華な焼き魚の定食がいただけるらしい。
しまっていた。臨時休業ってなんだよ。私の人生はいつもこれだ。
仕方がないので近くにあった沼津深海プリンの自動販売機でプリンを食らい、三嶋大社へと向かった。腹には溜まっていない。
三嶋大社では朝の神事をやっている最中で、(畏れ多くて写真は撮れなかったが)中々に貴重なものを見させていただいた。腹には溜まっていない。朝の一番気持ちの良い時間帯に御朱印も書いていただいた。キレイな字である。腹には溜まっていない。
三嶋大社とその周りを一通り観光し、朝であったためお店がどこも開いていないのを確認し、出発した。
沼津から静岡までは大きなバイパスが通っているのだが、静岡からは125ccのバイクでは通れない区間がいくつか出てくる。それらを回避するルートを選んで、走行していく。
静岡は私のお気に入りの街である。美しい海と悠然たる山々、真裏にそびえる富士の山から伸びるように敷かれた平野部には県下最大のターミナルである静岡駅を始め、ここに行けば何でも揃いそうな新静岡、夜は中々に治安が悪い両替町、オシャレな呉服町、美しい海が臨める清水、特になにもない草薙……。静岡浅間神社や賤機山などの山の恵みもある。しずてつストアのお弁当とお惣菜も美味しい。海釣りも川釣りもできる。私が「ここに住みたい」と本気で思った街は3つしかないが、そのうちの一つがここ、静岡である。
静岡に就職することも考えたし、実際に静岡の大手企業に内定をもらったりした。しかし、やはり大手企業であっても初任給が「その給料は一人暮らし無理じゃない?」というくらいの金額であり、私はもちろん埼玉にしか家がないため、諦めた。結局は金である。
静岡のバイパスを回避し、清水の海岸沿いを走るルートへと向かう。エスパルスのテーマパーク(?)であるドリームプラザを抜け、海岸沿いへ抜ける。
かつて高校サッカーやJリーグでの活躍から「サッカー王国」として知られた静岡であるが、今はその猛威も息を潜めているようだ。
我が地元・埼玉では「西の阪神、東の浦和」としてサポーターのカス度と無類の強さで知られる浦和レッズとは異なり、浦和レッズと同様にJリーグ発足からの団体である清水エスパルスは2年連続J2……
あ、ダメ?静岡人にその話題はマズい?そう……
清水の海岸沿いはヤシの木も生えた南国風情なものとなっているが、この駿河湾の青々とした海色に目を奪われる。湘南のように海岸沿いに目を汚す店や人のようななにかもいない、どこまでも飛んでいきそうな空気の澄んだ海を左に、バイクをぐんぐんと走らせていく。
11:30 静岡県藤枝市
しばらく走り、藤枝市まで着いた。藤枝市を通る藤枝バイパスは125CCでは通行不可能なため、片側1車線の道路を走る。
しばらくして、信号で停車する。右足でブレーキを踏み、左足で着地……
足に力が入らない。
大荷物のまま転倒しそうになり、慌てて足に体重を乗せる。思ったとおりに体へ力が入らない。めまいも先程から感じてきた。ふいてもふいても汗が出る。
あ、これ、熱中症かも。
急ぎ近くのコンビニに入ってコンビニの中で涼み、経口補水液をカブ飲みする。バイクを降りて気付いたが、私は意識が朦朧としていたようだ。思えば朝食は沼津のプリン以降食べていない。そりゃ栄養不足で熱中症にもなる。
コンビニの中でウロウロして体を十分に冷まし、汗も止んだと思えば急に腹が減ってきた。
少し休んだのち、反対車線にあった幸楽苑で夏バテの胃袋にガッツリとラーメンの炒飯セットを叩き込んだ。
吐きそうになった。
13:00 浜松市到着
バイパスにまた戻り、単調なバイパスを走り続けていたらいつの間にか浜松へ着いた。浜松は県下最大の都市ではあるが、結構横に平べったく市域が広がっているような印象を受ける。出っ張った建物がない我が地元・埼玉朝霞の市街地によく似ている。
あとスズキの城下町だからか、スズキのディーラーが異常なほど多い。そんなにあっても困らない?
浜名湖に浮かぶ島、弁天島公園にて休憩を挟んだ。浜名湖に浮かぶ赤い鳥居。まァ、ありがちだよなァ……と21歳にしてずいぶんと目が肥えた発言を留めつつ、私は日陰にて自販機の缶コーヒーをすする。
ふと、眼前に広がる浜名湖のことが気がかりになった。
「これ、真水なんかな」。気になってしまった。
浜名湖は「湖」である。しかし海と接続しているため、淡水か海水かは微妙なラインである。
少し目を凝らすと奥の方では海釣りの装備で釣りをしている方々も見える。
気になってしまった私を止める者はいない。私は衝動的に浜名湖へと駆け寄り、その水を手ですくって一杯すすってみた。
「しょっぱ!!」。海水であった。私は心のなかでそう叫んで早々に弁天島を後にした。偶然近くにいたカップルの声が聞こえた。
「何あの人……?」
「キチガイでしょw」
早く、死にたいと思った。
14:30 愛知県侵入
長い静岡県区間も終わり、ようやく愛知県に入った。しかし私は、さっきのカップルの言葉を忘れられずにいた。
昔から私は「変」であると言われて育ってきた。こんなnoteをやっているくらいなのだから当然といえばそうだ。
私はこんな自分の個性を100%肯定することができないままここまで来てしまった。こういうところも個性であり、自分で自分を肯定するべきである、というのが最近の流行りであるが、つい50年くらいまで「自己批判」というものが蔓延していた時代である。この風潮もいつ変わるかわからない。
愛知県に入り、私は東京から大阪、「日本のほぼすべて」をつなぐ東海道を早々に脱出した。ここからは渥美半島の旅へと移る。
渥美半島は三河国の東部に突き出た形をしている半島部分である。この先端部に伊良湖岬という場所があり、ここから鳥羽までフェリーが出ているので、私はそれに乗ることにした。明日はお伊勢参りである。
渥美半島は本当に特になにもなく、信号すらもあまりなかったので、ガソリンを入れる以外の休憩をしなかった。
しかしこういった何も無いところというのは、久石譲の音楽が大変似合う。『風立ちぬ』のBGMを流しながら、この何も無い渥美半島をゆっくりと流していく。
トコトコ、と小気味よいエンジン音を響かせながらゆっくりと加速していく9馬力の非力なエンジン。テンポよくギアを上げていく。ガチャン!と音を立てて噛み合うエンジンのパーツたち。流れては過ぎ去る田舎の風景。
心地よくない生ぬるい風すらも、私には旅情であるように感じた。
15:00 伊良湖岬到着
しばらく走り、長い坂を登った先に佇む半島の先端が見えた。これが渥美半島の先端、伊良湖岬であった。
なにもない自然の中にぽつんと浮かぶ孤島のようなこの岬はおそらく、多くの旅人の興味を掻き立て続けてきたのだろう。
そんな美しい伊良湖岬のフェリー乗り場に向かい、しばし待機。
ふと周りに目をやると、私以外の乗客と思しき人間は殆どおらず、車も数台止まっているくらいであった。平日だからであろうが、これは経営が心配である。
しばらくすると乗船案内が始まり、私はバイクに飛び乗ってバイクごとフェリーへ入る。
船内は特に特筆することのない普通の客席であった。その中の誰もいない1席に座り、コーラを買ってこれからの予定を確認していた。
やがて数千馬力のエンジンが唸りを上げ、大きなフェリーは重い腰を上げ、伊勢湾横断という毎日のルーティンをこなす。
志摩半島の島嶼部をスイスイとすり抜けていくさまは大変面白くもあり、その島一つ一つにナレーションで解説がついてくるので興味深かった。
バイクに乗る楽しみは、バイクが不便なせいで普段乗らない乗り物に乗ってしまうことだ。普通の人間は人生で1回乗れば上々であろうフェリーに、バイク乗りは何度も乗るのだ。北海道へ、九州へ、四国へ、沖縄へ。バイクという自由を象徴するような乗り物に乗って、時間に縛られて行動すると必然的にフェリー移動が効率的になってしまうのだ。
16:30 鳥羽港到着
1時間も経たずに船は鳥羽港へと到着した。もちろんバイクは私だけであるため、一番最後に降ろされた。そのまま夕暮れの鳥羽をゆっくりと走る。
鳥羽から伊勢までは無料のバイパスがあるのだが、もちろん125ccの原付バイクでは走れない。そのため、狭隘な峠越えの道を走ることを迫られる。
夕暮れに消えゆく伊勢湾の島々がゆっくりと眠りに落ちる光景。峠を越えた先に広がる光景に私は何度も目を奪われ、ついにバイクを止めてしまった。
ぼんやりと光る茜色の十二単と、それを照らす穏やかな海。私はその光が、2024年9月10日が消えゆく様を見届けてやりたいと思った。
タバコに火を付ける。煙が視界を霞める。
朝霞市の刻印が入った桃色のナンバープレートと緑色のバイク。桟橋に佇む釣人。タバコの煙で霞をかけられた、一枚の絵画であった。
ここまで来ても私は、どこでも見られる夕日に目を奪われてしまうのだ。
夕日。消えゆくそれに心を奪われる人は、きっと私と同類なのだろう。
私は、車を運転するより、後ろの座席で流れ行く景色を見るほうが好きだ。
日もすっかり落ちてから伊勢市へと入り、伊勢の快活CLUBにてまた就寝。
伊勢ではご当地ラーメンである「あじへい」にて夕食を取った。天理ラーメンっぽい感じだが案外あっさりしていて食べやすい。そしてキムチが無料で食べ放題なのが大変に嬉しい。
隣のスーパーで刺身を買い、持ってきたウイスキーをレモネードで割って快活にて晩酌。そのまま何かを考える余裕をなくすために、酔いにまかせて眠りについた。
9月11日 @三重県伊勢市
快活にて無料モーニングをいただき、9時前に快活を出た。
とにもかくにも、まずは伊勢参りである。
まずは外宮からである。お伊勢参りの順番は外宮→内宮、という順番であるべきだそうだ。外宮前のでっかい看板にもそう書いてあった。
まずは外宮から。
そして内宮。
伊勢神宮は、入った瞬間に空気が変わる感覚があって大変に驚いた。私の考えすぎかもしれないが、日陰になっているせいか鳥居をくぐった途端に風がひんやりとした、気がした。
月夜見尊が祀られている月夜見宮にも寄った。外宮から歩いて5分くらいなのだが、伊勢神宮本体にくらべてほとんど人がおらず、落ち着いた雰囲気で素晴らしかった。
バイクは外宮、内宮ともに無料で置くことができる。車だともしかしたら有料かもしれないのでここの出費が抑えられるのは大変大きい。
内宮からすぐのおかげ横丁にも寄った。
生牡蠣を食べた。2つで1200円なのだから大きめのものかな、でも三重の牡蠣は今の時期(夏)は旬じゃないからな、どうかな。ボッタクリを期待して注文した。
ぼったくりだった。私は歓喜した。
ぼったくられた!私は観光をしている!ただバイクでふらついているだけではないのだ!「変な人」ではない!ただの普通の観光客である!嬉しかった。
おかげ横丁から戻り、バイクに乗ってマップを開くとき、志摩半島に興味深いものを見つけた。
「天岩戸」というものがある。言わずとしれた日本神話において天照大御神が隠れた洞穴である。
天岩戸伝説は結構色んなところにあり、有名なところだと長野県の戸隠にある。
興味が湧いてきた。今日は時間もあるし、向かってみることにした。
11:00 志摩市
志摩半島へと戻り、山を登る。
県道からそれ、狭いアスファルトの道を進むと、大きな駐車場があった。
入った瞬間に冷たい風が吹きすさんだ。深い山の中であり電波は通らない。
山から流れる川の飛沫であたり一面は霧がかかっており、ここが「神の住まう場所」であることを認識した。
川から浮かぶ霧をかき分けながら山道を進むと、ひっそりとした神社が鎮座していた。
参拝を済ませ、またさらに山道を進むと、洞穴があった。人一人が入れるくらいの狭くて小さい洞穴だ。この中からは冷気が漏れ出しており、明らかに只者ではないなにかの気配を感じた。
天照大御神の住まう伊勢神宮にもほど近いこの天岩戸神社は、バチバチのヤンキーだったスサノオノミコトに嫌気が差して引きこもった天照大御神が引きこもった場所として大変ロマンがある。この霧といい、昔の人々が「ここ、天岩戸じゃね?」となるのも納得の場所であった。
さて、また出発する。本当は三重県が地元の友人から教えてもらったお店があったのだが、あいにくその日は定休日だった。キッチンクック、というお店で地元民がオススメしていたので多分うまい。
今回はスルーして和歌山へ向かうことにする。
間違いなくホンダユーザーであれば鈴鹿市にあるホンダの工場へ赴き、本田宗一郎氏への三跪九叩頭によって本田技研工業への永遠の臣従を誓わなければならず、私もその儀式を行うべきかと考えたが、少し距離があるのと、なによりこのバイクはタイ製造なので「ま、いっか……」となった。私が臣従を誓うべきなのはホンダのタイ法人である。
12:30 三重県脱出
伊勢平野の海岸から山越えの区間へ。この時期は稲刈りの時期であり、青々とした稲と黄金色に頭を垂れる稲、そして入道雲がいかにも「日本の夏」を連想させるものとなっていた。
しかしその光景も長くは続かず、やがて本州最後の秘境・紀伊山地へと突入していくことになる。
山の天気はグズりやすい。奥秩父の山々に囲まれて幼少期を過ごした私はよく言われてきた。天気予報は基本あてにならず、雨が降ったかと思いきや突然晴れ、晴れたかと思いきや雪が降る、なんてこともある。
ここ紀伊山地もその例外ではない。少し天気が崩れ、ポツポツと雨が振り始めた。
しかし、トンネルを越えると、満点の青空と雨が太陽によって蒸発する、なんとも神秘的な光景を見ることができる。まるで神が降臨したかのような水煙は、夏の峠の醍醐味である。
ぐんぐんと道路は標高を上げ、ついに雲と同じ高さまで来た。
まさに空中散歩であった。
15:00 和歌山県へ
国境の長いトンネルを抜けて奈良県に入る。ここからは伊勢路より大和路のたびに移る。
ここから少しだけ奈良県の吉野に入り、和歌山県へと突入する。
吉野は南朝の避難先である。朝廷屈指の武闘派・後醍醐天皇が足利方にボロ負けして逃げ帰ったのがこの田舎である。当時日本一の大都会であった京都を泣く泣く後にし、赴いた先がここである。後醍醐天皇率いる南朝方の心情たるや、といったところであろう。
南朝と北朝の分裂は「交互に天皇を一人ずつ即位させあう」ということで決着が着いたのだが、これは無碍にされている。その結末まで見据えた後で吉野まで赴くと、まさに「諸行無常」を感じてしまう。
ここに逃げ仰せた後醍醐天皇は、この吉野で何を考えていたのだろうか。鎌倉幕府を倒したときの栄光やその後の政治、そして失墜。
彼が何を思っていたのか、私には知る由もない。ただ私は、その足跡をたどることしかできない。
和歌山に入ってからは特に話すこともなかった。ぼーっと何も考えずに走っていた。
ひどく暑い残暑に照らされつつも、紀の川に沿った和歌山県のほぼすべて、紀の川平野を走る。
人口規模の割に案外車通りの多い和歌山。ひたすらにロードサイドの風景が続いている。埼玉でよく見る光景で、「またか……」となるのだが、その中にもたまに、地域限定のチェーンやスーパーがあるのが面白い。
関東にはほとんどない来来亭とか。
ゆったり走っていると、いつの間にか和歌山市街へと入る。私は大渋滞する和歌山駅はスルーし、そのまま和歌山港へと到着する。
和歌山港の事務所にて徳島行きのフェリーチケットとバイクの乗船券を購入する。5500円。結構痛手である。
車両の待機所でタバコを吸いながら長いこと待っていた。この日は船が少し遅れていたみたいで、日が暮れても船は来なかった。
港から消えゆく夕日を見て、タバコに火を付ける。白くくゆり、消えていく煙。時間に縛られていたら、私は来ないフェリーに慌てていただろう。しかし私はこのとき、自由だった。
隣の車の中でカップルがイチャイチャしており、「元気だなァ」と横目に眺めていたら、いつの間にかおっぱじめていた。田舎は美しい。
19:00 南海フェリーへ
走行しているうちにフェリーが到着し、この旅で2回目のフェリーに乗船。フェリー内部は大変に簡素で、寝転んでくつろげるスペースと椅子、自動販売機がおいてあったくらいであった。WiFiは繋がらない。2時間のデジタルデトックスが始まる。
私は寝転んで映画を見ていたが、早々に船酔いを起こしたので甲板に出ていった。
消えゆく本州の光と、眼前にそびえる真っ暗な山塊。あれが四国か。
月夜に照らされた四国を眺め、私が船の中で聞きたいと思っていた『ドラゴンクエスト4』の『海図を広げて』を聞く。
思えば、私が初めて旅に出た時もこの曲を聞いていた。
型落ちのウォークマンに小学生なりの知識でドラクエのBGMを詰め込み、家を出て一人で広島にある祖母の家を目指した小学6年生の夏。
雑踏に沸き立つ東京駅にて迷子になり、駅員さんに手取り足取りで広島までの新幹線チケットを買っていた。
広島までの新幹線内、広島からのJR呉線、呉線の車窓から見える瀬戸内海の景色。私の旅路をいつでも彩ったドラクエのBGMであった。
21:30 四国へ
2時間ほどで徳島港に到着。
私は甲板のベンチで完全に寝落ちしていたため、下船の合図に気づかず、誰もいないフェリーの中を走ってなんとか間に合った。
私はそのまま快活CLUBへ直行し、早々にシャワーを浴びて、寝た。船酔いは次の日まで響いた。