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芙蓉観月會 【結果】及び【選評】

皆さまごきげんよう。
残暑も漸く落ち着きまして、爽やかな秋の風を肌に感じることも多くなってまいりましたけれども、皆さま如何お過ごしかしら。

さて「中秋の名月」の夜に催させて頂きましたお月見の句会【芙蓉観月會】につきまして、一連の行事が無事終了いたしましたので、こちらでご報告させていただきたく存じます。

まず、総合結果並びに皆さまの選句一覧は下記の通りとなりますわ。

014回発表用

皆さま沢山の御参加並びに御観覧まことにありがとう存じました。

さて、ということでここからはわたくしの選評を書いて参りたく存じます。

芙蓉セツ子 選

天:天の川恋は通分できぬやも

七夕の伝説に代表されるように、天の川と恋というのは親しい題材なのですけれども「恋は通分できぬやも」という言い回しが可愛らしくお洒落でして天に取らせて頂きました。
恋というのは色々悩みが多くなるもので、その煩悶する心地と申しますか、頭の中の割り切れない感じが「通分」という言葉に存分に現れているように存じます。

地:鶺鴒の声を透かして空震ふ

鶺鴒(セキレイ)というのは澄んだ声で鳴く水辺の小鳥ですけれども、その響きと「透」という漢字の持つ印象がよく似合っているように存じました。
また、大気中を音の伝わる様がまことに透き通るように表現されておりまして瑞々しく麗しい印象を句全体から感じましたわ。

人:零の字に水音きこゆ月の雨

この句は「零」という字をどう解釈するかというところなのですけれども、わたくしは「零時」の「零」であり、またその字そのものが持つ冷ややかな、水滴の垂れるような印象が重なっているように感じました。
日付も変わる夜遅くにふと暗闇の窓の外から雨音が聞こえてくる、その全ての情景がこの「零」の響きに象徴されているような一句かと存じます。

福:飴色の書架の隙間にある秋思

秋という季節は、ふと心に何かを感じる一瞬があったりするもののようで、それが「秋思」という季語なのかと存じます。この句ではそれが書架の隙間にあったようで、そこで一瞬時が止まったかのような印象と、その色も相まりましてノスタルジアのようなものを感じるような一句でございました。

禄:焼ぶるものみな透きとほる秋の風

焚き火の中に何かものを焼べますと、やがて揺らめく透明な焔となりまして天に消えてまいります。その炎の透き通る様と秋の風という取り合わせからでしょうか、なんだか俗世から遠く離れた、超然とした世界を垣間見ている心地になってまいりました。人の世を離れた美しさを感じる景ですわね。

寿:透谷の足を止めたる百合の花

「透谷」というのは夭折の詩人、北村透谷さまのことかと存じます。彼は明治27年に時代の激動に影響され25歳の若さで自決するのですけれども、その句に「折れたまま咲いて見せたる百合の花」というものがあるそうで、この句はそれに連想を受けたものかと存じます。
百合の花を受けまして、透谷の短くも激しい人生というものをふと想像してみたという発想が、まことに素敵に感ぜられました。

以上、芙蓉セツ子選でございました。

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さて、今回は一ヶ月ぶりの俳樂會だったのですけれども様々な面で新しい方式を取り入れた実験的な句会となりました。
まず句会の形式としましては、
兼題方式(事前にお題で募集する)と席題方式(当日お題を出す)の並立制を採用いたしました。これは当日に実作の負担が集中し長丁場になることを避ける狙いがありまして、概ねその目的は達成できたかと存じます。

ただ、今回は当日の席題をわたくしが上手く告知しきれませんでしたので、次回は当日の熱気と申しますかそのあたりにより力を入れたく存じますわ。

次に、これはわたくし側の話になってしまうのですけれども、放送の形態を大幅に更新しておりました。こちらはわたくしの声があまりよく拾えていなかったようでして、次回までにまた色々な部分を改善いたしますわ。

ということで、次回の俳樂會なのですけれども、途中に一度別の試みを挟みまして、また来月にでも開催ができましたらと存じますわ。

これからもより洗練された空間になるよう精進してまいりますので、またの機会でも共にするご縁がありましたら、何卒よろしくお願い申し上げます。

俳樂會主宰 芙蓉セツ子

【芙蓉観月會】
観月や雲居に消ゆる足手影
やはらかき葉脈透くや秋日射
秋草の軈て朽ちたる匂ひかな
添ふ指の恥ぢらふ秋の袷かな 雪子

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芙蓉セツ子
平素よりご支援頂きまして誠にありがとう存じます。賜りましたご支援は今後の文芸活動に活用させて頂きたく存じます。