ふやよみ即興絵うた五十音チャレンジをおえて 〜目に見えないものとのつながりについて〜
ふやよみ即興絵うたをご存知だろうか。
絵描きである青木薫が
気まぐれに選んだものをぱぱっと絵にし
それを、
あおきさとみが見てぱぱっと曲をつくる。
そんなわたしたちのあそびを
ふやよみ即興絵うたと呼んでいる。
これまでも時々やっていたのだが。
夏の初めに
「絵うたの曲のはじまりの音を五十音にして
50日で50絵うたをつくろうではないか!
そしてそれを“かるた”にしてあそびたい!」
ということを突然思いついた。
それを薫ちゃんに言ってみると
「それはおもしろいいではないか」
という反応をいただき
めでたく、2022年7月23日から
「ふやよみ即興絵うた五十音チャレンジ」なるものが
はじまったのである。
基本的に
何があってもどこにいても
青木薫は絵を描き
あおきさとみは短い歌を作る
という約束だ。
最初は
つい忘れて寝る前に思い出して
眠い眠いと言いながら急いでやったり
曲を作るのに時間がかかったり、
気をつかわないとできないものだったが。
習慣というものはすごいものである。
日を追うごとに
作業時間がだいぶん減り
絵うたがわたしたちの生活の一部になった。
出張中でも旅行中でも
お腹を壊していても
お酒を飲んでも
台風が通り過ぎても
絵うたをやった。
そして、9月9日重陽の節句の日に
無事にゴールを迎えたのである。
正確には“ゐ”と“ゑ”を抜いた46文字のはずが、
わたしが間違えて“む”と“く”を2曲ずつ作ってしまい、
48日+メイキング映像制作の日ということで
49日でのゴールであった。
毎日YouTubeにあげた「ふやよみ即興絵うた」↓
この約49日間の絵うたの夏を終えて
わたしにとって大切なことを確認できた。
それは“目に見えないものとのつながり”である。
人の内側には
自分の思考を超えた可能性が
広がっている。
つい浮かんでくる余計な思考に惑わされてはいけない。
よいしょっとがんばって手を伸ばさなくても
必要なメロディーはすぐそばにあるのだ。
そして
安心してふんわりと天にゆだねることができれば
偶然が応援してくれるのである。
例えば、絵うたの場合、
“を”など、使いにくそうな音であると、
「早いうちに“を”の曲を考えておいた方が後で楽かもな。
今日考えておいた方がいいかな」
など余計な思考が出てくることがある。
しかし、そんなことは考えず、
ポカンと安心して信じていれば
“を”を自然に使える相応しい日が
必ずやってくるのである。
「きょうは体調悪いからいい曲できないかも」と
思っても、やってみたら思いがけなく
好きなな歌ができることもある。
表現や遊び(特に即興のもの)は、
コントロールや思考を手放して
大きな流れに身を委ねることが必要で、
“目に見えないものとのつながり”を
感じさせてくれる。
だからわたしは表現や遊びが好きだし
人が心豊かに生きるためには
絶対必要なものだと思っている。
昔バリを旅した時に、出会った方が言っていた。
「日本人は物事を自分でコントロールしようとする。
だから、何かうまくいかなかった時に、自分のせいだと思い込む。
だから鬱になる人が多い。
バリの人は見えないものを信じている。
だから何か悪いことが起こっても自分だけのせいじゃない。
だから、鬱の人が少ないんだよ。」
いつの間にか、
目に見えるものばかりに重きをおかれる社会になってしまったが、
本来、人間の暮らしの中には自然の神さまたちがいて、お祈りや儀式があった。
もともと、人間というものは、目に見えないものたちと共に生きる
生き物だったのではないかと思う。
人の内側には思考を超えた可能性が広がっているし、
安心して信じていれば必要なことが起こるということ。
それはわたしにとってそれは
スピリチュアルなことではなくて
とてもリアルなことなのである。
さて、
このふやよみ絵うた
“かるた”にできたらとても素敵だ。
薫ちゃんとは、
ふやよみ絵うた展もできたらいいねーと話している。
会場には絵うたの曲をランダムに流して
今流れているうたの絵を探してあそべるのである。
想像するととっても楽しい。
楽しい世界をまあるく創っていきたいね。
わたしたちの内側には
想像以上の可能性があるのだから大丈夫。
そうしていきましょう。
ふやよみ
あおきさとみ