ふやよみ

奄美大島在住。青木薫とあおきさとみによる音楽ユニット。島の暮らしの中で生まれたうたを演…

ふやよみ

奄美大島在住。青木薫とあおきさとみによる音楽ユニット。島の暮らしの中で生まれたうたを演奏しているうちに、奇妙な旅がはじまっていた。果たしてどんなおもしろいことが待っているのか、ギターとうたと胸を高鳴らせる日々。 https://www.facebook.com/fuyayomi/

最近の記事

ふやよみ即興絵うた五十音チャレンジをおえて 〜目に見えないものとのつながりについて〜

ふやよみ即興絵うたをご存知だろうか。 絵描きである青木薫が 気まぐれに選んだものをぱぱっと絵にし それを、 あおきさとみが見てぱぱっと曲をつくる。 そんなわたしたちのあそびを ふやよみ即興絵うたと呼んでいる。 これまでも時々やっていたのだが。 夏の初めに 「絵うたの曲のはじまりの音を五十音にして 50日で50絵うたをつくろうではないか! そしてそれを“かるた”にしてあそびたい!」 ということを突然思いついた。 それを薫ちゃんに言ってみると 「それはおもしろいいではないか」

    • 一生分の歌を一生のうちにちゃんと歌う

      若いころはビールをよく飲んだ。 何かあれば、まずビールだった。 20代の頃仕事帰りの居酒屋で 女子ふたりで20杯の生中を飲んだこともあった。 あんな大量の水分をひとり10杯も よく摂取できたもんだとびっくりしたものだ。 生中を飲み始めると、 3杯目くらいにまず最初のトイレに行きたくなる。 一度トイレに行ったが最後 そこからトイレが近くなり、 お互いに話を中断しては 頻繁にトイレに行くことになるのだ。 今となってはなつかしい。 そんなわたしも、 40代のある日、 何の前触

      • 笛吹き山伏しのおはなし

        わたしが奄美に移住して最初に住んだ家では、 毎日夕方になると、下手なたて笛の音がきこえてきました。 近所の小学生がたて笛の練習をしているのでしょう。 毎日同じ時間に練習するなんて真面目だなあ〜と感心していました。 先生に特訓させられてるのかな? まだ下手だけど、どんなメロディーをひこうとしてるのかな?と 上手くなるのを楽しみにしていましたが、 何日経っても上手くなりません。 そのうち、あれ?学校あるはずだよね、、、 こんなに毎日帰るの早いのかな、、、と気がつき、 だんだん

        • アイウォントステイヒア

          3時半に起きて 港まで1時間ほど車で走って、船に乗り込む。 きょうは船で徳之島出張。 二等の雑魚寝大部屋の隅っこに、自分の場所を確保し、 横になった途端に寝落ちした。 ネパールの夢をみた。 ネパールは、水の中の国だった。 水面は頭の上くらいの高さ。 水の中だが、なぜか普通に呼吸しているし、 他人と話すこともできる。 少しだけ自分の身体の周りに透明なゼリー状の膜があるのだ。 ただし、電気製品は普通に故障する。 バスで隣に座っていた人が 片手を上げて持っていたのは携帯電話

        ふやよみ即興絵うた五十音チャレンジをおえて 〜目に見えないものとのつながりについて〜

          帰ってきた。

          ここ数ヶ月、リフォームやら引っ越しやら来客やら仕事やらライブやら、とにかく息つく暇も無く、目まぐるしい日々が続いていた。が、ようやくひと息つけそうなところまで来た。 なので久しぶりにnoteでも書いてみようと思う。 昨日、ふやよみの関西ツアーを終え、飛行機に乗って島に帰ってきたのだが、「ああ、帰ってきたなあ」と腹の底からしみじみと感じたのは夕方、風呂を焚いているときだった。 4月から住み始めた新居「はなちゃんち」は五右衛門風呂なので、毎日薪で湯を沸かさなければならない。焚

          帰ってきた。

          令和のカニに会う

          平成から令和へ。 はなちゃんち初のお泊まりのお客さまがいらっしゃった。 幻(まぼろし)というお酒を空けて、 浜で、れいわー!と叫んだ。 なんとか令和まで生き残れた、という感覚。 まだわたしのたましいはこの身体のうちに やりたいことがあるみたい。 平成の時代、 わたしは音楽をずっと追いかけていた。 うたうことつくること旅すること。 そして、平成の最後、 はなちゃんちを創っていくことに無我夢中になって、 令和との境をまたいで 今ここにいる。 なにかが変わった。 なにかがはじ

          令和のカニに会う

          タタキをタタクを書こうとして、1か月半

          薫さんが忙しそうなので こっそり更新する。 きょうはとうとう新居はなちゃんちの土間を たたき始めた。 旅人の友だちが突然現れて 手伝ってくれると言うので 手伝ってもらう。 * というところまで、書いたのが3月8日。 それから、まいにちまいにち家づくりと引っ越しの日々が続いた。 家づくりの様子はこちらに更新中 https://m.facebook.com/aokiss.satomi/albums/2589011917780740/?ref=bookmarks 3月末

          タタキをタタクを書こうとして、1か月半

          草まつりのこと

          はじまるまで スタッフであるわたしも 何が起こるのかわからなかった。 その場その時に居合わせたメンバーで 生まれてくるものを楽しむこと。 出てきたものが でてくるべきものであったと腹をくくること。 すべて創作だと思ってのぞんだ日。 わたしは、 わかりにくいけど確かに存在するもの まだ言葉になる前のもの 枠に収まりきらずに 切り捨てられがちなもの そういうものこそを大切にしたいと 思っている。 そこに潜む 可能性を追いかけて びっくりトキメク人生を 送りたい。 あたりま

          草まつりのこと

          あれこれあれこれチヌあれこれ

          めまぐるしい日々を送っている。 困ったことに、 全部やりたいことなので手が抜けない。 新居の改修のあれこれ 春から初夏のライブの企画やチラシづくりやお知らせやあれこれ 春に発表するふやよみのCDの制作、録音やジャケットやあれこれ 草ラボやいのちの学び舎の活動あれこれ 新しい曲のアレンジや練習やあれこれ 普段のお仕事あれこれ 夜に突然届く釣れたてのチヌのあれこれ そう ビタンビタンとはねては ギロリとこちらを見る チヌが今夜もやってきたのだ。 夫とふたり協力しあって 2回目

          あれこれあれこれチヌあれこれ

          野の草を食む

          妻が野草にハマり出してから、我が家の食卓には野草料理が頻繁に並ぶようになった。今夜も長命草の天ぷら、浜大根の炒め物、ツル菜のおひたしと、野草尽くしだ。 その辺に生えているものを食べる。これはイキモノとして、非常に正しい姿であると思う。 遥か彼方の海の向こうから運ばれコンクリートの箱の中に並べられた、やけに偏った植物の葉やら実やら根っこやらを、四角い紙切れや丸い金属片と交換して手に入れる、そういうものだけが食べ物だと思い込んでいる、そんなイキモノは人間ぐらいのもんだ。考えて

          野の草を食む

          旧暦元旦

          旧暦の新年。 お向かいの89のお婆と過ごす。 鎌を研いで 松は、近くの山から、 真竹は、集落の奥の山裾から、 ゆずり葉は、庭から いただいて束ねて門の両脇に飾る。 雨の晴れ間に 浜に出てあそぶ。 チヂミ(おばあはチヂンのことをこう言う)と三線と島唄の歌詞集を持って。 わたしがチヂミをたたいておばあが歌う 雨が降りだしたと思ったら 夫が来て私たちに傘をさしてくれる。 ひととき過ごしたら 集落の神さままでお参りにいく。 ウンジュクミィジュク トオトガナシ お線香をあげ

          鬼が居た

          仕事を終えて家に帰ると、鬼が居た。 困ったな。普通は、自分が家に居て、鬼が外からやって来るのだけど。家に帰ったらすでに鬼が居る。当然のように、ちゃぶ台の前に座って、お茶を飲んでいる。 「鬼は、ええと…。外…ですよね?」 まるでこの家の主人であるかのように落ち着き払って、静かにこちらを見つめているこの鬼に、豆をぶつけるタイミングが見つからない。 今年はしばらく、このまま居てもらおうか。とくに悪さをするでも無さそうだし。ただ黙ってこちらを見ているのが、ちょっと気持ち悪い。

          2月3月は大工になる!

          スケジュール帳を眺めて唖然とした。 もう1月が終わる。 そして、3月の末には、 新居であるはなちゃんちを住めるように改修して 引っ越さねばならない。 果たして、あと2ヶ月で 住める状況になるのだろうか。 きょうは、 とにかく三和土にする予定の台所の床をはがして 使えそうな材木の釘を抜いて 使えなさそうな材木を燃やして 今後やることリストを書きなぐって 1日が終わった。 台所にはカウンターを作りたい。 じゃあ排水はどうしようか。 ガスはつかわない生活にしたいね。 どこか

          2月3月は大工になる!

          初えらぶ

          沖永良部島は、近いようでいてなかなか遠い。と思っていたのだが、実際行ってみるとどうしてなかなか、思っていたよりは意外と近いのであった。 ガイドブックには一切載らない小さな洞窟やら泉やら、偶然に任せ導かれるように幾つか巡ると、奄美とはまた違った魅力を感じた。ちょっとした異国である。 だがしかし何と言おうと、妻が沖永良部出張のたびにあしげく通っていたという居酒屋が、やはり本日のハイライトであったことは間違い無い。 豚足の唐揚げ。そう、甘酢をかけた豚足の唐揚げである。 それ

          耳からでるおなら

          夢をみた。 わたしの身体の上から下へ 風が吹きつけている。 わたしが上に動いているのか 風が上から降ってくるのか 上が眩しくてわからないが とにかくビュンビュンと勢いがある。 周りには銀色や黄色 金色や赤色 キラキラしてるけれど とても落ち着いた感触の 魂のようなものが 浮遊している。 よくわからないのだが なんだかとても 安心して目が覚めた。 * このところ 老いること死ぬことを 肌で感じることが多い。 正月に会った両親や 集落のおじいちゃんおばあちゃん 思いが

          耳からでるおなら

          小屋と私

          ここ2、3日、風邪を引いて寝込んでいたのだが、今日は少し良くなったので、久しぶりに仕事場へ行った。 私の仕事場は集落の外れにある小屋である。もとは農機具などを入れるための小屋だったので電気も水道も引かれていない。水はその日使う分だけ近くの水道からバケツで汲んでくる。電気は最近になってソーラーパネルを設置して自家発電で賄えるようになった。絵を描くには十分な環境である。 日常生活と完全に切り離された「創作の為だけの場」を持つというのは、絵を描く人間、あるいは何かしらのモノづく