理由は“夏”でいい
長袖と半袖を行き来する5月がもうすぐ終わる。冬の寒さ引き摺る朝靄もあれば、夏さながらの日照りで肌がちとピリリと痛いほどの真昼もあり、平然と体調をぶち壊して過ぎ去った。6月はそこにジメジメとした梅雨がやってくるのだから今から不安で仕方がない。
変えられるような気がしてるだけ
恥ずかしながら、これまで季節の細やかな移り変わりをあまり感じることがなかったが故に、心は思いのほか穏やかに生きていられているんだなとも理解できて、本音は少し嬉しい。酷く落ち込む夜は影を潜めて、絶望の朝を駆ける事も殆どない。それはとっても良いことで、これまではそういった安寧を他人に齎してもらう事でしか手に入れられないと、私は思っていた。もちろんそういった慈悲でしか救われない心があるのもわかるし、居場所のない人間にとっては拠り所となる対象がある(いる)事を、心から羨ましいとも思う。けれど生きるうえで必要最低限の安らぎは、自分自身で護らなければならないともキチンと感じられるようになった。「そんなの当たり前じゃん?何を今更…」と言いたい気持ちはとてもわかる。それでも私は他人よりも多くのものを持っていない。五体満足の身で贅沢だとも思うが、だからといって、私が他人よりも大きく劣っている事の否定にはならないのだ。本当の精神弱者は「私の方が〜…」なんて絶対に言わないし、そんなチープな感性では精神弱者は務まらないのだ…エッヘン。他人の不幸と自分の不幸をわざわざ並べて測ったりしない。天秤に乗せた時点で、その不幸は自分の手から離れていってしまう。持たざる自分がそれすら手放してしまったらもう本当に何も無くなってしまう。ただの糞と肉の詰まった塊になってしまう。情けない書き出しになってしまったが、ここ最近はなんだか快活で気分もいいな〜なんて書きたかったんだよ本当は…トホホ。
今日を残して
『探偵!ナイトスクープ』(以下ナイトスクープ)を観返したくて、配信サイトを巡ったが、様々な事情あって今は過去のある程度しか観ることが出来なくなっている。(もちろん全て見返した)
西日本で産まれた自分には馴染み深い番組で小さい頃から良く観ていたのを覚えている。ナイトスクープでは一般の方から寄せられた、様々な依頼を番組で解決していくドキュメンタリーのオムニバスの様な形式をとっている。良くある様でナイトスクープ以外でほとんど見ることのない手法だと思う。バカげたくだらない依頼から、ゾクっとするホラー回、重く苦しい悩みまでとウィットに富んだ内容の幅が非常に面白いのだ。
何より素晴らしいのは“一般の方からの依頼”である事で、本当に日常にある苦悩は実に共感できる内容が多く、一般の感性に最大限に寄り添った探偵たちも一緒に苦悩する姿が献身的で格好良い。
所謂“神回”と言われる様な回を、たまたまではあれど僕はほとんどリアタイで観た記憶がある。中でも『レイテ島からの手紙』や『6歳児のお寺修行』『23年間会話のない夫婦』や『うちの息子はどこまでついて行く?』『鬼太郎少年』も全て観た。どの回も面白いと一言で言うのは簡単だけれども、それだけで終わらせてしまうのはあまりに勿体無い。何度噛み締めても味わい深い投稿ばかりで思い出しては胸を焦がしている。(今はどれも観れない)
そんな素晴らしい依頼の中でも僕が1番好きで、どうしても忘れられない回がある…。
『彼女のタバコ』
2016年4月15日放送の回の最後の依頼が『彼女のタバコ』である。
依頼分を聞くと「まぁわかんなくもないな〜」という程度の依頼に思えてしまうが、この依頼文から察しのいい人なら分かるであろう…彼女はすでに亡くなっていたのだしかもなんと、探偵が取材に行って初めてそれが分かるのである。こんなの心を揺らすなと言う方が無理である。ボロボロになった吸い殻からなんとかタバコの銘柄を突き止めることが出来、火をつけフカした瞬間、依頼者の男性の表情が一瞬フッと明るくなり「これだ…」と涙を落とす瞬間の瞳の揺れが、脳裏に焼き付いている。
別れというのはとても理解するのが難しい。人と人はいつしか必ず別れが来てしまう。そんなの当たり前なんだけど、それを当たり前だと知っているから、どうにか一瞬でも長く一緒にいたいと願うのである。本当に悲しいのは何もかも忘れてしまうことで、この依頼者が“どんな香りだったのか、ほとんど思い出せない”と語っているがちゃんと心は覚えていて、そのタバコの香りさえあれば、亡くなった彼女は永遠に彼の中に居続けることが出来るであろう。それはとても美しいなと私は思う。どんなに思い出は薄れてしまっても、大切な人を思い出す為の釣り糸を生活のそこら中に垂らし続けていればいつかは何かに引っ掛かり、手繰り寄せればきっとまた出会う事が出来るのだと示してくれる。そんな素晴らしい回であったと私は思う。
「いいですよって言うと思います」
新しい職場で大切に想う人達が出来た事が、私にとってはとてもとても嬉しい。オンラインの世界でも素晴らしいビオトープを創る事も出来た。そう想える人が増えれば増えるほど他人が思っているほど自分が良い人間だと思えず、あまりにも出来の悪い人間だと感じる事が増えてゆく。そうしたプレッシャーはいっそうネガティヴな気持ちを加速させる。彼ら彼女らに落胆される未来がぼんやり見えてしまって「あぁ…また…」と自分にも心底ガッカリする。ただそれと同じくらいの年甲斐もなく舞い上がる感覚もある。仕事終わりに食事に行ったり、ハンディカムを持って出かけたいという望みを理解してくれたり、「夏には海に行きましょう」と約束を交わしてくれたり、そんなの自分には勿体無いとすら感じる。この先どういう関係性であれ、そういう慈悲を私は忘れたくない…。夏の終わりには、渚のうねりに私の心も巻かれて、どうか沈んでいない様に祈りたい。
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