あっけらかんと生きる。
最近、ある方との会話で、わたし「真面目だなぁ、固いな」、と感じながらお話しさせてもらいました。お相手は心が軽く、エネルギッシュでユーモアにたけた方。
繊細で感受性が高いゆえに私は、真面目なのか⁉。よく長所、短所含め、ありのままの自分を認め、許し、愛する事が大切。って聞きますが、私としては、もう少し「ゆるみ」みたいなものが欲しい。
真面目や固さが悪いわけじゃない、ただ陰陽のバランスなんですよね。
あっけらかんと生きる。
この言葉は、ヘンリー・デヴィッド・ソローの本の中に出てきた言葉です。
人は何のために生きるのか、「生きる目的」を人に問うても、人間の社会は絶望の淵に沈んでいて、無駄でした。それなら、生きものと自然に問うたらいい、と考えたのです。
ところが、生きもの(動物、昆虫、植物)はいくら見ても、あっけらかんと、楽しそうに、活発に、美しく生きてはいても(そしてあっさり死んだり、食べられたりしていても)、何のために生きるかは、語りませんでした。
ソローは、生きものがその本性にしたがって生き、生きる目的は解決済み、と言っている以上、自分も限りある命の生きものとして、本性が示すとおりに精一杯、自分を十全に生かして楽しく生きよう、と決意しました。
ヘンリー・D・ソロー著 今泉吉晴訳
あとがきより一部抜粋
生きもの(動物、昆虫、植物)があっけらかんと、楽しそうに、活発に、美しく生きている。そしてあっさり死んだり、食べられたりしている。そこにはすべてを受け入れる肚と自然の摂理がDNAに組み込まれているのかもしれません。
悲しいかな人間は、思考や煩悩だらけ笑。世の中にもまれながら、生まれながらにもっている本能や感性からなぜか遠ざかってしまって行く。動物たちと同じように人間も、全てを受け入れる器や肚(未来起こることに対しても)を持っていれば、不安や心配にエネルギーをとられず、あっけらかんと生きていくことも可能ではないのかもしれませんね。
あっけらかんは、心の自由度。心の弾力。
日常生活の中でも、心を縮こませることなくノビノビとさせていたい。
物事や世の中、人を見る目、感じる心を、大きく広い視野、視点で見、集中するべきところは、どこまでも集中していく。そうな人間に近づいていければいいなぁ、と思っています。
ついでに、雑音は、見ざる聞かざる言わざる🙈🙉🙊でいきますけど笑。
たまに、人との会話や、行き違いで、失敗したり、いろいろなことで落ち込んだり、「あーやっちゃった」とおもったときは、
「あっけらかん」としていればいいか、「あっけらかんと生きよう!」って、自分にそう言うだけで心が軽くなるんですよね。
ここまで、記事を書き終えて、私、「やっぱり真面目で固いわ!」と笑ってしまう。「まぁそれも、わたしか、」とあっけらかんと記事を閉じます😅
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