メロスへのモヤモヤ
幸せ創造劇場ハーモナイザー養成スクールで、太宰治の『走れメロス』を読み直す機会がありました。中学2年生の国語の授業以来です。
当時「登場人物に手紙を書きましょう」という授業があり、私は「太陽」に向けて書いたのを覚えています。手紙の内容は全く覚えていませんが、物語での絶対的な存在の太陽=作者に向けて書いたような・・・気がします。(人物を選ばないあたり、だいぶ捻くれていましたね。笑)
以前読んだ時も、今読んでも、どうにも居心地の悪さを感じるのです。それは何故なのだろう・・・?
そこで、中学生の頃は知らなかった認知真理学を使って読み解いてみることにしました。
認知真理学では一霊四魂という、自分が今どのエネルギーを大切にしているのかを4つのタイプに分けて考えます。
4つのタイプにぴったり当てはまる、というものではなく、人はどのタイプのエネルギーも持っていて、その時々によって使い分け、バランスを取って生きています。もちろん、どこかに偏る、ということも見られます。
4つのタイプの分け方は簡単な言葉でいうと、熱いか冷静かという軸と情緒を大切にしている人指向か物事達成指向かという軸の2つの軸で分けます。
熱くて達成指向の『勇』
熱くて人指向の『愛』
冷静で達成指向の『智』
冷静で人指向の『和』
これを使って「走れメロス」の登場人物たちを分析してみることにしました。(あくまで個人の見解です)
メロスは正義感が強く、物事をぐいぐい推し進めてゆくタイプ、そしてその正義感は信頼を証明するものなので、『勇』と『愛』にまたがっています。
メロスの妹は兄を心配してまくし立てる様子から『愛』と判断。
そのお婿さんは結婚式の支度に段取りにこだわりを強く持っていたため『智』。
セリヌンティウスは物静かな印象を受けたため『智』と『和』。
その弟子のフイロストラトスはメロスに「恨みます」とこぼしたり、それでもメロスに「自分の命を大事にしてください」と言って走るのを止めるように言ったりしていたので『和』と『愛』。
そして暴君ディオニスは『愛』と『勇』にまたがっていると思いました。そう、メロスと一緒です。久しぶりに読んでみて、暴君ディオニスの人間っぽさが印象的でした。本当は何よりも大切にしていた人とのつながりを何らかのきっかけで失ってしまった。そのために手段を選ばない暴君になったのではないか。だからメロスがその信頼、絆を証明して見せたとき、素直に感銘を受けて手のひらを返したのではないか。そして、ディオニスはメロスを反転した姿そのものではないのか。そう考えるとなんでお互いそんなに意固地になっていたのか、自分の見たくない部分を相手が見せてくるためなのかな、と納得できました。
さて、私が感じていた居心地の悪さ。それは私が和(そして智)のエネルギーが強いからなのだと分かりました。チーム冷静『智と和』の人たちはチーム熱血『勇と愛』の人たちの押しの強さが苦手です。そして正論を突きつける『勇』に対して、そうは言っても気持ちの部分を大切にしている『和』は中々理解を示せないのです。
こうして紐解いてみると、モヤモヤしていた居心地の悪さが晴れてゆきました。
この手法、リアルの人間関係においてもとっても役に立ちます。
この人なんだか苦手なのだけど、どうしてかな? と相手と自分をちょっと俯瞰して見てみるのです。相手の立ち位置、自分の立ち位置が分かり納得ができると、もういつまでも感情的にならずに済みます。
この4つのエネルギーに置き換えて書き出すだけでもおすすめです。
もっと詳しく知りたい方は和みのヨーが創始者のガンダーリさんの以下の本をお勧めします。
動物を使った漫画で分かりやすくなっています。