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猫と私、一緒に過ごした日々

出会ってくれて、うちの子になってくれてありがとう。

虹の橋を渡るのを見送るのはこれが4回目だ。

見送るたびに辛く、苦しい。
あと何回経験するのだろうと思う。
しかし、一緒に過ごした日々、楽しかったことを思い出す。
幸せをありがとう。

私が初めて猫を保護したのは、まだ実家で生活していた2010年8月のこと。
それ以来、今までに実家で6匹、自宅で2匹の猫を保護してきた。
猫たちはペットではなく、私にとって家族であり、一緒に過ごした時間はかけがえのない宝物だ。

しかし、虹の橋を渡った子も少なくない。
これまでに4匹の猫が病気になり、闘病生活を経て私の元を去っていった。別れはいつも突然で、心の準備ができることはない。

2024年7月18日、最近看取った子も同じように、私にとって辛い別れの一つだった。

2011年11月に実家で保護した猫のちびちゃん。
保護当時は2ヶ月程の子で、やんちゃでフレンドリーな女の子。

保護して少し経ったくらいの頃

初めて体調が悪くなった2019年12月に病院に連れて行くと、肺炎との診断。
治療を行うも症状が回復せず、口呼吸をするまで悪化した。泣きながら母と別の病院に連れていくと、肺炎でなく、肥大型心筋症の診断で一週間程入院することとなった。
腹水が溜まり、危ない状態だったが懸命な治療、ちびちゃんの頑張りで回復した。
それから毎日の内服を頑張り、元気に過ごしていた。

次に体調が悪くなったのは2021年6月21日のこと。病院に連れて行くと緊急手術となり、入院になったと母から連絡があった。
子宮蓄膿症という病気。心筋症もあるため全身麻酔のリスクがあったが、手術は成功した。

2022年のちびちゃん

2023年には腎臓の数値が少し悪くなり、点滴をするために週一回通院していた。肥大型心筋症の診断から4年程が経ったが、毎日の内服で問題なく元気に生活を送れていた。

しかし、2024年7月7日に母から
「ちびちゃんがくしゃみしていて、風邪をひいたみたい」と連絡を受けた。
その時は、風邪だから病院に行って抗生剤で治ると思っていた。
今思えば安易な考えだった。

7月8日、母が病院に連れて行き、点滴と抗生剤を打ってもらった。しかし、食欲がなく、食べられていないとのことだった。
7月9日の朝、ちびちゃんが好きなご飯を買って様子を見に行ったが、ご飯を食べてくれなかった。
7月10日の午後、妹がご飯を買ってきてくれたが、少ししか食べてくれなかった。

その後もご飯を食べてくれず、母と交代で毎日ちびちゃんを病院に連れて行き治療してもらうも回復せず、どんどん弱っていくちびちゃん。
毎日かかさず行なっていた毛づくろいも、体調を崩してからはできていない。
シャンプータオルで身体を拭き、ブラッシングをすること、目やに、鼻水を拭き取ること、声をかける、一緒に過ごすことくらいしか、私には出来なかった。

7月16日、病院に行くと先生から
「シニア猫や病気を持っている子は風邪をひくだけでも命にかかわります。今まで亡くなる子も見てきました」と言われ、
もしものことがあるかもしれないと覚悟を決めたが、今回も回復してくれるのではないかとどこかで信じていた。

7月17日、この日は病院は定休日だったが、先生の好意で治療していただけることになった。「きつそうですね、また明日も来てください」と言われ、翌日も病院が定休日にも関わらず、先生のご好意に感謝した。

7月18日の朝、病院に連れて行くため実家へ行くと、いつもいるリビングにちびちゃんの姿はなく、お風呂場でじっとしているちびちゃんを見つけた。病院に連れて行き、先生にご飯も食べておらず、どんどん弱っていること、お腹が膨らんできていることを話すと「心臓が悪いから点滴もたくさん入れると腹水が溜まってしまう。でも脱水にもなるから、明日以降どうするか考えていかないとね。また明日来てください」と言われた。
この時は、これが最後の診察になるとは思っていなかった。

その日の夕方、ちびちゃんは大好きな父の布団にいた。
内服と水分の準備をして「ちびちゃん、きついけど頑張ろうね」と声をかけ内服をしようとした時、体調が急変した。

「ちびちゃん、いかないで」と泣いている私と家族。
きつそうにしているちびちゃんを撫でることしかできなかった。
家族に見守られながら虹の橋を渡ってしまった。

いつかこんな日が来ることを覚悟していたが、最期の瞬間には必ず後悔が残る。「もっとこうしてあげればよかった」「あの時にもっと気をつけていれば」と自問自答することが後を絶たない。

以前、ペット霊園でお別れをしたことがある。
しかし、その経験は私にとって非常に気が滅入るものだった。
霊園の冷たい雰囲気や、他の飼い主たちの悲しみが集まる場所でのお別れは、私にとって心の負担が大きかった。

そこで、私は自宅に来てもらってのお別れを選んだ。
担当していただいた男性が
「ご家族様でしっかりとお別れしてあげてくださいね」と温かい言葉をかけてくれたおかげで、この方法は私にとって少しでも心の安らぎを感じることができた。
自宅の庭でのお別れは、最後の時間をゆっくりと過ごすことができ「また絶対会おうね、生まれ変わって帰ってきてね」と前向きなお別れすることができた。

また、分骨カプセルを初めて受け取った時、一緒にいるような気がして温かい気持ちに包まれた。カプセルを見るたびに思い出が鮮明に蘇り、楽しかった日々、幸せを思い出すことができる。

ちびちゃんは私の家族であり、私の心の支えだ。
一緒に過ごした時間は、喜びや幸せだけでなく、悲しみや後悔も含めた全ての感情が詰まっている。それでも、ちびちゃんとの思い出は私の宝物であり、一緒に過ごした日々は私の人生を豊かにしてくれた。


ちびちゃん、うちの子になって幸せでしたか?
頑張り屋さんのちびちゃん。
もう頑張らなくていいよ。
ゆっくり休んでね。
14年間、幸せをありがとう。大好きだよ。
また会える日を楽しみにしてるよ。
いつでも帰ってきてね。

これからも、私は猫たちと共に生きていく。
新しい出会いがあり、また別れも訪れるかもしれない。
しかし、私はその一つ一つの瞬間を大切にし、猫たちとの絆を深めていきたいと思っている。
彼らの命の尊さを感じながら、私は猫たちと共に、より良い未来を歩んでいきたいと願っている。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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