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世界の見え方は多いほどおもしろい

「不破さんってNPOの代表というより、ベンチャー企業の社長みたいですよね」

外部の方と打ち合わせをしていて最近言われたこの言葉。思い返せば、今までこの類のことは何度か言われたことがあり、そのたびになんだか嬉しく、そしてしっくりくるように感じている。

NPOをやっていると言うと、未だに全てボランティアなのかと思われたり、無条件に優しくて良い人なのかと思われることがあります。

でも、私の根底にずっとあるのは、人助けとか生きずらさ解消などの言葉で説明されることよりも、「おもしろいことが好き」である。

来春には設立から12年を迎えるNPO法人ダイバーシティ工房を始めたときに思っていたことを、今日は話してみようと思います。

“大変そうな人”が楽しく生きてる人だったとき

ダイバーシティ工房を立ち上げる前、団体の前身となる『自在塾』という父が始めた学習塾で働いていたとき、聴覚障害を持つある10代の男の子と出会いました。

雑談をしていると、あるときその子がこんな風に言いました。

「手話ってさ、バスで遠くの席に座ってる友達とも、『大声でウルサイ!』とか怒られずにしゃべり続けられるんだよ」

「手帳があるとディズニーランドのチケットが安く買えるの、ラッキーじゃない?」

自慢げに話すその子の話を聞いて、ちょっと、いやかなり羨ましくなった。
そして彼は話しながらすごく楽しそう。

耳が聞こえなくてかわいそうとか気の毒とか不便だろうとか、周囲が勝手に決めつけているようなことなど事実ではないというように。

関連して思い出す風景がもう一つ。
あるとき訪れたハワイで、ひとりでバスに乗っていた時、車いすに乗ったおばちゃんが乗り込むなり、

「ハロー!ここ私の特等席なの🎵」

と車いすの乗車スペースでニコニコと言っていました。
運転手さんも周りの人も当たり前のように彼女を見てご機嫌に微笑んでいる。

その人がその人から見える世界で、ただ日常を送っている。楽しそうに。

あれ、こんな当たり前、日本ではなかなか見なかったぞ。

解決したい<世界をもっと知りたい

何気ない会話や偶然目にした風景から、自分のこれまでの視点では見えなかった世界の見え方を、新しく得ることができたように感じることがあります。私には、そのことが本当におもしろくって、人の魅力もそんなところから感じます。

もちろん、その人にとって大変な場面や、サポートが必要なこともあるでしょう。
でもサポートが必要な場面は、それがその人の不足を表したり、何か特別なことなのではなく、メガネをかけるみたいに、ただ必要だからそうするだけ、とごく自然なことになればいいのに、と思うのです。

今NPOを立ち上げて12年。
日々の生活がどうにもならないたくさんの人の話を聴いてきた中で、ときに絶望的な気持ちにもなる。この世の中の不平等とか理不尽さは変えられないんじゃないか、と行き詰まるときも何度もあった。

こんな世の中の仕組みを変えたいんだけど、一番変えたいのは自分や誰かの「世界の見え方」なんだよなと、いつも最後は感じるのです。

他者からはどんな風に世界が見えているのかを知り、世界は自分の想像を超えてこんなにも広くて彩とりどりなんだと知るのが、おもしろい。

大変そうとか、不幸そうとかそんな視線をよそに、自分で自分の生活のおもしろさを見出したり、楽しさを味わい生きている人の姿が本当にかっこいいし、魅力的なんだと思う。

考え方ややっていることが「おもしろい」「NPOぽくない」と言われて嬉しいのは、見方によっては“社会課題の解決”や“受益者と支援者”という切り口一辺倒にもなり得ることを、その解釈で終わらせずに、そのもっと先に広がるものまで一緒に見てくれたと感じるからかもしれません。

NPOという組織を通して本当にやりたいこと

この夏(2023)、小学生の娘がよく聴いていたビリミリオンって曲を一緒に聴いていたんです。

この曲を聴きながらぼんやり考えたんですよ。

もし今取り組んでいる社会課題が全て解決されている10年先にワープできるとしたら、行きたいか?

そう問われたら、私はきっと「行かない」と答えると思うんです。

課題は解決されるべきだし、自分や誰かの困りごとが減ってほしいのはもちろんなんだけど。

そのためにこの10年事業を作ってきたし、3人のこどもを産んだり、千葉から沖縄に移住したり、必死に働きながら課題と向き合って来た。

でも、仮に一瞬で全ての課題がなくなったとして、そのときに見える世の中が素晴らしいかと聞かれたら、多分そうは感じないと思うんです。

戦争を経験していない私や今の子どもたちが、「今戦争ないからとっても幸せでしょ?」って聞かれても「幸せ!」と実感する子は少ないのと同じように。

自分が直面している生きづらさとか、課題を解消するプロセスを体感しなかったら、多分課題のない世界の美しさは見えないのかもしれない、そんな気がするんですよね。


おととし夏、沖縄に集結したスタッフ

私が20代に旅したたくさんの国で見た風景やそこで生活する人たちから見えるこの世界や、自在塾で子どもたちとおしゃべりしていた中で気付いた世界があるからこそ、今の自分の視点があるのだと思う。

私たちは今もこれからも何かしらの課題の中を生きるのだと考えると、その課題を完全になくすことをゴールにするよりも、その最中をどう生きていくかや、より多くの世界の見え方を獲得し、その多様さに圧倒されたり驚いたりもしながら、人や世界に対する気づきをどれだけ増やしていけるか、そういうことの方に私は興味を惹かれます。

誰もがその人らしく生きている状態がよいという意味では、社会課題を解決することでその状態を作りたいと人生を懸けている人と、最終的に見たい世界は同じかもしれません。

人が生きている限り、大変なことも悩みも困りごとも、争いもきっとなくなりはしない。

それでも自分はどんな世界で生きたいのか、どんな世界を創りたいのか考え語り合えたり、そこに向かう過程で一緒にいたいと思える人と、私は出会いたいし、それが自分にとっての幸せなんだと思う。

NPOというのは、あり方の一つの選択肢であり、手段にしかすぎない。それを使いながら、自分がもっと見たい世界を探求している。自分や周りの人の世界を広げ、作り変えている。

そういうことが、私が本来的にやりたいと思ってきて、今もやっていることなのだと思います。

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ダイバーシティ工房は、誰もが自分らしく生きていけるまちづくりに取り組むNPO法人です。

現在、私たちと一緒にこの先見たい世界を語り合いながら作っていく仲間を募集しています。ともにわくわくしていただける方、ぜひ採用ページをチェックしてみてください!

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