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母の膵臓がん闘病記録9 実家への外出、行けるのかな?

母が7年前の2017年に膵臓がんと診断され
この世を去りました。
その時の闘病記録です。

2017年4月15日の記録

今日、午前11時半くらいに母から電話があった

痛みがひどいので、すぐ来て欲しい、と

でも、ちょうど、宅配便がくる時間だったので
それから行くね・・・と電話を切って
慌てて行った

病室に着いたら、母は寝ていた

昨夜から相当痛くて
でも、担当の看護師さんの処置が遅かったみたいで
ほとんどねれなかったと

辛かっただろうな

寝ている間もずっとそばにいたんですが
そしたら、横のベッドの方がお孫さんにぼやいていた

昨日の看護師さんの態度がとっても冷たくて・・・って

母もそう言ってたので、きっと同じ人のことなのかも
他の看護師さんはいい人で親切で優しいらしいんだけど
その方が担当になると、なかなか痛みも訴えることができなく
トイレの介助も言いづらいと

うーん。

夜って看護師さんも少ないだろうし、大変だろうから
気持ちはわかるけど
もう少し患者に寄り添って欲しいよね

医療従事者の方に出会うと
思うこと、感じることたくさんある

感謝はとってもあるのだけども
人によっては
この方、なんで医療従事者になったんだろうかと思う方も
処置の方法とかをみてても
想いが伝わってことないこともある

単なる作業になってるんじゃないんだろうかと
忙しさは当然あると思うし
それは理解できるんだけど

でもね・・・と思うことも
もう少し寄り添ってほしいよね

それにそんな患者側の思いをどこにも
ぶつけられないこともあって
そんなことを話せる人や場所があったらいいのにね
・・・と

ちょっと脱線してしまいましたが・・・


母は、お昼前に痛み止めの座薬を入れてもらって、
ぐっすり眠れたらしい
私に電話したこともすっかり忘れているようだった

痛みがひどくなっている
今日から、痛み止めの胸に貼るパッチの量が4枚に増えた
座薬の感覚も短くなっている

話をしててもぼーっとしている時間が多く
やっぱり、病状は刻一刻と進んでる・・・そんな感じです


明日は実家に帰る予定
と言っても数時間が限度です

ただ、朝の母の状況で決めるとのこと。
いけるといいね

3時間お願いしたんだけど、大丈夫かな

実家は
母が父と長年頑張って
貯蓄をして
やっと建てた家

ところどころに母のこだわりが詰まっていて
母にとっては
思い入れも強いと思うのです

ほんとは、生まれ育った山口にいる
母にとってはお姉さんの家に行きたいと思ってるんだけど
もうそれも叶わないだろうな

叔母も母と同じ
膵臓がんで闘病中です

叔母は
早めに見つかって手術することができて
膵臓がんが見つかって数年経ちますが
元気に自宅で過ごしてます

だから会いたいと思うけど
難しいよね

叔母自身も長時間出歩くことができないので
関西までは行けないと
嘆いてました


なのでせめて
最後に実家に行って
少しの時間でもいいから過ごしてほしい

無事に行けるといいな


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