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【考察】なぜ人事・組織マネジメント領域では、「謎施策」が蔓延してしまうのか? ~「模倣的同型化」「取引コスト理論」「山月記シンドローム」などの理論から考えてみる~


Ch1:流行に乗っているのか、乗らされているのか?

  • 「なぜ、MVV刷新、エンゲージメントサーベイの導入などの空中戦施策ばかりに着手するのか?」

  • 「なぜ、担当者すら効果に確信を持てていないまま進めるのだろうか?」

  • 「多様性推進は、権利ばかりを主張する社員を生み出し、組織の停滞を生み出していないだろうか?」

上記は一例に過ぎませんが、人事・組織領域において、「右に倣え」の如く、なぜ他社施策の表面模倣が発生しやすいのだろう?と考えてきました。

「右に倣え」が悪い訳ではありませんが、「本当に自社に必要なのか?」の問いもなく、「とりあえずMVVを策定すれば、会社は変わる」「とりあえずエンゲージメントサーベイを導入し、まずは見える化から始めよう」としても、徒手空拳で終わるケースを度々見てきています。

また、施策の提案が、「本当に会社が良くなるから」という確信を持った自律的な思考ではなく、「とりあえず、やった方が良さそうだから」という他律的な思考に基づいており、実施した理由を聞いてみても、「紋切り型のテンプレ回答」しか出てこないことがあります。

本現象について、様々な切り口が考えられるのですが、今回は「模倣的同型化」という理論を交えて考えていきます。

※念の為ですが、MVV策定・エンゲージメントサーベイ導入自体を謎施策と言いたいわけではなく、目的不詳・運用脆弱のまま進めて謎施策化していく現象を指しています。

Ch2:模倣的同型化という現象


「模倣的同型化」の定義は『不確実性を回避するために、組織が他の組織をモデルとして模倣すること』となります。

簡単に言えば、『①目的が曖昧で、やり方もよく分からない場合は、②他社の成功していそうな制度を模倣しよう!』という現象のことです。

人事・組織領域においては、①明確な目的を説明しきるのが困難であるために、「模倣的同型化」が発生しやすい、と考えています。

さらに「②成功していそうな制度」というのがポイントなのですが、他社がコーポレートブランディングの一貫として対外的に発信している施策を「成功事例」として捉え、そのまま飛び付いてしまう、という現象も発生します。

具体的には、下記のようなステップで、人事・組織施策のトレンドが誰も成果実感を得られないまま、雪だるま式に拡がっていきます。

▼模倣的同型化の流れ

  1. A社が海外トレンドとしてキャッチした人事/組織施策を始める

  2. A社はコーポレートブランディングのために、(上手くいっていなくても)先進的な施策としてアピールする

  3. それを見たB社の担当者は、「成功事例」と真に受けることで、「自社もやった方がいい」と取り入れる

  4. B社も同様に、コーポレートブランディングのために、(上手くいっていなくても)先進的な施策としてアピールする

  5. それを見たC社の担当者も…

という構造です。

また、上記の「模倣的同型化」はDXでも発生していたように感じます。

例えば、「A社のデータ利活用施策」に釣られ、「自社もやるぞ!」となるが、①実は上手くいっていない、②自社のビジネスモデルと関係ない等の原因で、ほぼ経営インパクトがない施策が立ち上がる、という流れです。

「自社と他社のビジネスモデル」は違うので、模倣しない方が良いものすらあるのに「模倣的同型化」の渦の中に組織が飲み込まれてしまう訳です。

特に、最近だと、「エンゲージメントサーベイを導入したはいいものの…」という事例を大量に聞いておりますが、下記の図のような混乱が生まれていると感じます。

Ch.3:「人間関係の取引コスト」と「模倣的同型化」


「模倣的同型化」をマクロな組織現象と捉えることもできますが、その実態は「説明しやすいもの」に逃げたいミクロな人間心理の集合体なのかもしれません。

人間を「限定合理的」であり「機会主義」であると捉えると、「人間関係の取引コスト」を意識するわけなので、簡単にいえば「本当はAをやった方がいいと思っているけど、説明しやすいから、Bにしよう」に流れてしまいます。

「組織の善悪ではなく、個人の損得で仕事が決定される」という人間のリアリズムがある中、「ずっとこの会社にいるわけではない」という気持ちが更に強まっていく時代においては、後者の「個人の損得」に、更に重心が寄っていくのかもしれません。

坂井が見ていても、推進力の強い人事の方は「自分は会社/商品が心から好きなので…」などの言葉を使う一方、「こっちの方が説明がしやすいので、ひとまず…」のような、この人の気持ちはどこにあるんだろう、というような場面も出くわします。

「個人の損得」で動けば、一時的な履歴書は綺麗にできたり、社内ポジションは守れたとしても、「有耶無耶グセ」「忖度グセ」が身につくので、長期的なキャリアを考えると、決して「個人の損得」にも繋がらないはずです。

Ch.4:現代版の山月記なのか?


これは「自分の市場価値を上げるために働きます系」への違和感にも繋がっており、市場価値という言葉の範囲が狭く捉えられすぎていると感じます。

不義理をしない・必ず恩返しをする・仕事に前向きな意味付けをする・顧客の喜びに興味を持つなど、市場価値を生み出すインフラ部分が軽視され、「市場価値を上げてくれそうな分かりやすいスキル・実績」を追求すると、結局は土台が弱く、大した推進力も発揮できないので、「市場価値も微妙」みたいなジレンマに陥っている、という話です。

「聞いてくれるが動いてくれない」という話を聞くようになりましたが、一見すると感じが良く、「応援しているよ」と口では言う割に1mmも動かない人々を見るにつけ、「この人は恥をかきたくないし、泥水をすくって道を切り拓くみたいな仕事は絶対にしたくないんだろうな」と思います。

でも、そんな仕事の仕方をしていたら、もっと足腰が弱くなるので、実力のなさを誤魔化すために、さらに「口出しマシーン化」してしまうのでは?とも思います。

言い換えれば、山月記の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」なのかな?と思いますが、李徴に「ゾス」の精神があれば、違った顛末を迎えたのかもしれません。

また、様々な研究書を読む中で「損得より善悪で考えないと不正が起きる」と考えていますが、なまじっか「賢い風の人が集まった組織」ほど、「言っていることは誠実で、やっていることは不誠実」といった状態が起きてしまうのかもしれません。

※「ダークトライアドと美徳シグナリングの関係性」の話と近いとも考えています。

Ch.5:「人間関係の取引コスト」と「自尊心よりも大切なもの」

という暗い話をしつつも、それでも「この人は凄いな」と思うような人々は、世の中にたくさんいます。

仕事柄、毎年2000人程度のマネージャー、商談の段階で経営者や人事の方とも話すわけですが、「自尊心よりも、組織の未来や顧客への誠実性」など、外向きの思考を持っている人の方が、力強く組織を推進していると感じます。言い換えれば、「自尊心の無駄な重力」に負けていない、とも言えます。

逆にいえば、「人間性弱説」に則れば、「人間関係の取引コスト」に負けてしまうのは自然であるとも思います。

でも、そうすると、「とりあえず、説明がしやすいから、Aの施策をやろうよ」となり、回り回って「模倣的同型化」を業界内に膨張させているのかもしれません。

という話を来週の12月5日(木)のセミナーで少し触れているので、ご興味があれば、ぜひご参加ください。

この辺りの内容を話します


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