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力不足の痛感
先週、文學界新人賞へ作品を応募しました。
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はじめての公募への応募。ギリギリではありましたが、なんとか〆切に間に合わせることができてホッとしています。ただ、応援してくれた人たちには申し訳ないですが、今回は一次選考すら通過しないだろうと予想しています。謙遜でもなんでもなく。
というのも、作品を書き始めて少し経った頃、気がついてしまったんです。自分の腕の無さに。とにかく、視点の乱れと場面展開の下手さが全体をとおして目につきました。
ちなみに、視点の乱れとは以下のような文章のことです。
事の真相を知った時、私は青ざめた。
『逃げなきゃ……!』
頭ではそう分かっているのに、足がすくんで動けない。そうしている間に、彼女は不敵な笑みを浮かべ、じりじりとこちらへ詰め寄ってくる。そして……
「きゃああああ!!!」
主人公がピンチに陥っている、ありがちなシーン。これ、どこが変か分かりますか?そうです。「私は」「彼女は」を主語に使っている一人称で、「私は青ざめた」という表現はおかしいんです。
この時の主人公は当然「私」。つまり視点(目線)も「私」のため、「私」が見たり聞いたりしたもの以外書くことはできません。「青ざめた表情」というのは、自分からは見えませんよね。だからこの場合「事の真相を知った時、私は全身から血の気が引くのを感じた」のように表現をするのが正解です。小説の世界では、これを‟視点の乱れ”と言います。
これ、結構やりがちなんです、私。いえ、もしかすると多くの人が無意識にやってしまうミスかもしれません。それに加え、私は場面展開も苦手。副業でやっているシナリオライターの仕事も、ひとつの場面から次の場面に移るまでの速さや密度に関して、クライアントから指摘を受けたことが何度かあります。
序盤でこれらに気がついた時、愕然としました。恐らく、間違った書き方をしているのに気がついていない箇所なんて、他にもたくさんあるでしょう。こんなレベルで出版を目指すなんて、ちゃんちゃら可笑しい。そう思いました。
けれど、これはシナリオライターの仕事をするようになって得た知識や、空き時間に『小説の書き方』なる本を読んで学んだことによる気づきです。
「気がつくことができたんだから、まだ大丈夫」。これまで、自分なりに積み上げてきた過程があるからこそ、瞬時にそう切り替えることができました。
それと同時に、決めたんです。『とりあえず、今書いている作品はこのまま完成させて応募しよう。だってそれが自分との約束だったから。その後、時間を作ってもう一度がっつり小説の書き方を勉強しよう』、と。
今、私はシナリオの案件を減らした状態で、小説の書き方を一から勉強してます。少なくとも、今年いっぱいはインプット時間を多めにしつつ、活動を続けていく予定です。
小説の出版は、私がこれからの人生をかけて叶えたいことです。そして、その先にも、まだまだ叶えたいことがあります。だからこそ、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。こんなスタートにも立てていない時点で、諦めるわけにはいかないんです。自分が諦めない限り、チャンスは無限にあると私は信じています。
それに、自分の唯一の利点は「最後まで書き上げることができる」こと。だから腕さえ上げれば、私はきっと大丈夫。あとは書くだけの状態まで、自分を持ち上げていこうと思っています。
今回、はじめて公募に挑戦をしたことで、得た気づきはたくさんありました。本当に、このタイミングで挑戦をして良かった。
この気づきや感情を忘れず、これからも私は自分を信じてやり続けます。
【今日の独り言】
久々に「です・ます調」で書いたっけ、書きにくいったらありゃしない。慣れって怖いね。そしてこんな諦めモード醸しつつ、来年の4月には結果を確認しに本屋さんへ走ろうとは思っている。一応ね。
【69/100】