行き先は決めない「ゆだねる散歩」
「ゆだねる散歩」、はじめました。
「ゆだねる散歩」は、進む方向を自分で決めずに、1本の棒に決めてもらう散歩です。
わたしは、朝の散歩が清々しくて好きなのですが、最近「ルートのマンネリ化」に悩んでいました。近所を頻繁に散歩していると、どうしても「この景色、飽きてきたなあ」と新鮮さが薄れてきてしまうもの。
「よし、今日はいつもは通らない道を通ってみよう」と思っても、気がつくとついつい安心感を求めて通ったことのある道を選んでしまったり……。
そこで、「自分で道を決めなければ、おのずと新しい道を開拓できるのでは?」と思い立ち、ひらめいたのがこの「ゆだねる散歩」です!
「ゆだねる散歩」のルールはたったの3つ。
①方向に迷ったら、棒が倒れたほうに行く。
→ 棒は割り箸を使用しました。地面に割り箸を立てて、倒れたほうへ進みます。
②散歩の所要時間をある程度決めておく。
→ 方向をゆだね続けていると永遠に帰ってこられなくなるので、何分以内に帰ってくるのかを決めておきます。今回は30分に設定しました。
③「なんか好き!」と感じたものの写真を最低1枚は撮る。
→ 好きな写真を撮るというミッションをつくっておくと、好きを発見するセンサーを働かせて周りを見るようになるのでおすすめです。散歩の思い出を残すこともできます。
ということで、今回の朝の工夫は、ふつうのお散歩に小さなアレンジを加えた「ゆだねる散歩」です。
では早速、「ゆだねる散歩」のはじまりはじまり~!
* * *
1本の割り箸を握りしめ、いざ出陣
開始早々、気づいちゃいました。
道で割り箸を地面に立てることはけっこう恥ずかしい。何度か靴紐を結んでいるフリをしました。
そもそも割り箸を握りしめながら歩くことも、まあまあ恥ずかしい。
でも、目当ての人や物を見つけるドラえもんの秘密道具「だずね人ステッキ」みたいでやっぱりワクワクもする。
まずは車や自転車も通るので、周りをよく見て安全第一でいきましょう。
記念すべき1つ目の十字路がやってきた!
割り箸を立てて、指を離す。
どっちに倒れる?
パタンッ。
なるほど、左ですね!了解です。
いつもはまっすぐ進むことが多かった道を左へ曲がる。
このように次々と割り箸に進む方向をゆだねていく。散歩をしている犬に誘導されているような感じがした。犬ではなくて割り箸だけど。
そして相変わらず、割り箸を持って歩くのは少し恥ずかしかったので、ここでも1つ工夫を。
恥ずかしさはあるけれど、割り箸が倒れる方向を見守っているとき、「次はどっち?」とワクワクする。
「そっちには曲がったことなかった!」「え、そっち行く?」の連続だ。
分かれ道が目の前に現れるたびに「お!」と心がはずむ。
途中から「こっちに行きたいな~」と強く思ったときは、割り箸を使わずに行きたいほうへ行くようにしたり、行きたい方向があってもあえて割り箸にゆだねてみたりと自由にあっちこっち歩いた。
すると、同じ道を2回通ってしまうこともあった。
「またこの道!?」と心の中で割り箸にツッコミを入れるのもそれはそれで楽しい。
自分で選んで同じ道を通ると「またこの道か」とつまらなく感じてしまうのに、指示に従って同じ道を通らされてしまうのは、おもしろいハプニングとして捉えられた。現象としては同じことなのに、ふしぎだ。
やった!
今まで知らなかった、きれいな花壇のある公園に出会った!恥ずかしい思いをしたかいがあった。
しかも、公園内には誰もいない。たいてい良い感じの公園には先客がいてベンチは埋まっていることが多いので、人が少ないきれいな公園は貴重だ。また来よう。
「なんか好き!」もたくさん見つけた。
気がつくと、あっという間に30分が経とうとしていた。
割り箸をバックにしまって、知っている道で家まで帰る。
ゆだねる=新鮮で、気楽で、おもしろい
散歩で進む方向を自分で決めずに割り箸にゆだねてみたら、マンネリ化していた近所の散歩が一気に新鮮な散歩になった。
自分では決めないからこそ、辿り着くことのできる場所や、出会える新しい景色。
この感覚は、コース料理と似ていると感じた。
自分でひとつひとつ料理を選べば好きな物だけを食べられるけれど、食べたことがない物や苦手そうな物は食べる前から避けてしまいがちだ。
でも、「シェフのおすすめ」や「季節のおすすめ」が出てくるコース料理では、「こんなにおいしい物がこの世にあったんですか!」という、自分一人では得られないうれしい出会いがある。
「ゆだねる散歩」において、あの一本の割り箸は素敵な出会いをもたらす優秀なシェフなのかもしれない。
そして、「ゆだねる散歩」をしてみて良かったことはまだある。
それは、散歩がより気楽なものになったことだ。
自分で決められることや選べることはしあわせなことだけれど、疲れてしまうときもある。
たとえば、自分で決めるときはつい「得をするほう」や「正解」を求めてしまって、知らず知らずのうちにエネルギーを消耗する。
右か左かの小さな選択も、自分が想像しているより頭を使うものなのだろう。
だから、割り箸に進む方向を決めてもらう散歩は、自分で考えなくてよくて、それがとても気楽だった。
気楽になると、周りの景色によく目がいくようになった。
「どこへ向かうのか分からない」というワクワク感も「ゆだねる散歩」の大きな魅力のひとつだ。
映画やドラマを見るときに、ストーリーや結末を知らないほうがおもしろい。それと同じで、先が分からないことは何気ない散歩におもしろさを加えてくれる。
どうやら、「ゆだねること」には、新鮮さ・気楽さ・おもしろさがあるようだ。
大人になって「自分のことは自分で決めないと」と無意識のうちに肩に力が入っていたことに気づく。大事なことは自分で決めたほうがいいけれど、時には誰かに選択をゆだねてみるのもいい。
そんなことを「ゆだねる散歩」はわたしに教えてくれた。
日常の中で小さな冒険をしたくなったとき、日々何かを決めることや選ぶことにちょっと疲れてしまったとき、「ゆだねる散歩」はいかがだろう?
ゆったりと気楽でおもしろく、本当は新鮮だったはずの一日を、新鮮にはじめることができるはずだ。