時には、頭へのINPUTが心の安定になる
「そうか、そういうことか…。」
分かったような、分からないような、状態なのに、なぜか、分かったふりをしてしまう。
ここ1か月で見えてきた、私の執筆スキルレベルのリアルは、これ。
机に座った執筆時間で、1,400文字/hで書き続けられること
でも3時間くらいで体力と集中力が切れてくること
机に向かって執筆を開始するまでに、倍以上の時間がかかること
6月は6万文字、7月は12万文字、それでも毎日机の前に座ることが、まずできなかった。
ここ数日は、KIMIKOの2章を勢いで書き上げて、
急速に、INPUTの時間に充てている。
INPUTと言っても、心や感性へのINPUT、原動力のINPUTとなる、動画やマンガ本じゃない。
疲れ果てて自分の心が空っぽの時、現実逃避したい時、癒してほしい時、明日を生きる元気を急速充電したい時なんかに、無性に求めてしまうINPUTと、じゃなくて。
ここ数日の私が求めるINPUTは、頭と欲求への知識としてのINPUT。
自分の中の深みを形成したり整形したりするためのINPUTだ。
歴史資料や、古代文献、生態系、文化、政治経済…ネット社会おそるべし。無料でパソコン1台で、部屋から一歩も出ずに手に入る情報の膨大さ。
それから、テクニックや方法論として、他の人の書いてるWeb小説、文豪の解説書、作家入門に関する記事、そして、ついには投資をしてでも、人気作家と言われる人の作品を分析したい欲求に駆られている。
「書こうと思えば、2,000文字/hでも書けることが分かった。」
「アホみたいに、時間を忘れて没頭して、ひたすら話を進める作業ができる。」
執筆を開始してからの約1か月で手応えとして得たモノはこれだった。
そして同時に、次の疑問が湧いてきた。
「”話を進める”…それがしたかったんだっけ?」
そう、それはまるで、ドラマの続きを切望する気持ちに似ている。
あと1話だけ…次の話の冒頭だけ…と、エンドレスに動画を再生してしまう時のような、
1.5倍速で…とりあえず物語の展開を先の先まで見て安心したい…というだけの、自己満足、達成感、一種の”飢え”に対する時間の浪費、その代替として、”書いているだけ”になっている気がしてしまった。
毎日、晩御飯の後に数時間、好きなイケメン俳優の出る韓国ドラマを見ている感覚で、自分の頭の中の好きなキャラたちをテキストに書き起こす毎日。
ただ、それでいいの?って、そんな焦燥感が私の中に芽生えてきたんだ。
これって、なんか違くない?
しかも、読み返しても、展開を追いかけるばかりで、書いていた時のドキドキやワクワクほど面白く感じられない。
もっと、世界観とか、一言一言、ぐっとくるような想いとかセリフとか、描写とか、そういうの、付け焼刃で端々に取って付けたようなものを散りばめているけど、そういうんじゃないだろう、と自分で突っ込みたくなる感じ。
小説を書くのは誰でもできるけど、小説家になるのは運が必要。
吐き気がするほど、たくさんあるラノベ、みんな腐るほど書いている。
その中から、腐るほど映像化されたアニメやドラマ、気の遠くなるほどの人の生活が関わって作り上げられている。
電車でスマホを眺める人達、店先で街角で貼られるポスターやキャラコラボ商品。
そんな人たちに、私は何を届けたいのだろう?
文章を書くのは確かに簡単だ。
好きなら書けばいい。
でも、それでマネタイズしようと思うと、かなりコスパが悪いことも覚悟が必要だ。
しかも、ADHDが疑われる、この超論理的な思考回路で、『宝物のような物語』を創り上げることが出来るだろうか。
(ADHD傾向として、集中したら没頭して書きまくれる、というのが実証されたことは嬉しいことだったけど、たいして体力が続かないという欠点も実証され…)
家を建てるにも、料理をするにも、モノを作るにはマネジメントが必要。
致命的にその能力に欠けている私が、それを克服しながら『物を創り上げる』って、なかなかきわどい。
言葉のセンスや発想力でそれを補えるか、という点が、かなり運任せだと思った。
だから、INPUTとして、情報収集に加えて、『分析』を始めた。
これまたADHD傾向の人の悪い癖なんだけど。(笑)
たくさんの情報を吸収する。
そして、何の脈絡もないそれらの情報を、分析する。
だって、「知らない」ことは不安だから。
「知ること」で問題が解決することはなくても、別の道を探すように変化できるってことは知ってるから。
「知ること」で少なくとも、今抱えてる不安やイライラは、今とは違うものになっている、って知ってるから。長い経験で。
だから、何も書かずに、やたらめったら、目についたものを調べまくっている。
地形から、歴史、民俗学に宗教、他国の食材事情にグルメレシピ、日本国の成り立ちから江戸幕府の裏話、平安貴族の生活様式から名字のルーツ、御伽草子から最新の推理小説までの販売傾向や内容の変遷、日本の書籍ビジネスの課題や、各著書に対する一般ユーザの口コミ…知らなかった単語はタブで開いていくから、タブが常時20~30個くらい開かれた状態のWEBブラウザ。
でも、おかげで少し分かったことは、
小説は、コスパ最悪かも、ってこと。
そして、
それでもいい、と、意外にも思った自分がいた、ってこと。
生涯勉強していくとか、生涯の趣味とかにしても、
今、画材を買って絵画教室に通ってる、
今、楽器をドレミときらきら星から音を鳴らす練習している、
今、テニスの素振りを練習している、まずはグリップの握り方から。
そんな時期なんだ、きっと。
中学生でも、社会人一年目でも、定年見据えた中高年でも、きっと誰もが通り過ぎる時間。
愉しめればいいよ。
それをやっている自分を、楽しそうだな、って思えたら、それでいいんだよ。
プロのテニスプレイヤーのラリーを見て、
腕の振り方から全然違って、あぁ、腕に筋肉全然ないな、体幹もめっちゃいるんだな、って気付いていくフェーズは、成長している証。
だってもう、ただ見ていて、憧れていただけの自分、じゃない。
皮算用してた自分から、
きっと、まずは狸を捕まえる罠とカゴは作れるようになったけど、
それをどこに設置するか、どんな餌を入れるか、どのくらい辛抱強く待てばいいのか、諦め時はいつなのか見極めるとか、そういう、「これまで当たり前と思ってたことが、ようやくリアルに見えてきた」そんな自分になれたんだと思う。
だから、
当然まだ、答えや、解決方法なんてなんも見えてないけど、
「そっか、そういうことか・・・」って、なんか口に出して言っちゃう。
そんな気分。
しんどいけど、
そこまで悪くない。
焦るけど、
もう数日、頭へのINPUTを続けながら、手を少しずつ動かし続けてみよう。
そんな、2か月前とは事情の違う、ここんとこの数日間を過ごしています。
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