死について考える時に利用できる制度について考える
ぼくは朝日新聞の考えにはほとんど同調できなく、とはいってもインターネッツ上などのステレオタイプな連中のそれとは違うと自負したいのであり、だからこそ朝日新聞の宣伝役になどなりたくないのだが、この文を見てくれると家族を殺された家族が犯人であるカスに意見をいう制度があるらしかった。
つまりは家族を殺された激情を仲介人(おそらくすべての人間つまり殺された家族も含めその生活を約束された職務形態の人間だろう。つまり税金から給与が寄越される立ち位置の者だ)を通して当該カスに伝えられると。
だが……人の激情とは仲介者を通してまともに通じるのだろうか?
お前はカスだから牢屋に入ってるね。
国が決めたことだからね。
で、同じく国が決めたことで、お前が殺した人を愛していた方々の怒りの声が届いてるから、仲介者の代弁でお前は全部聴かなきゃならん。
国が決めたことだから。
と同意しようがしまいが(多分強制力ぐらいあるだろう)駆り出され、文に加工されて感情を込めずに読み上げられる……これで当該カスが反省なんてするだろうか?
反省すると信じてこの制度を使っている遺族に提供する国家のフルコミットサービスがこの品質で良いのだろうか?ぼくにはわかりません。
だってビジネスチャットと同じじゃないか。ビジネスチャットをうまく使えないおっさんは、句読点をクソ正確に書こう書こうとするあまり、まるはらを繰り替えして恐ろしい印象を部下に与える。
どんなに優しいことを言ってるつもりだろうがクソ冷たく伝わるという現代日本が抱えるビジネスチャットユーザたちの失敗例と全く同じことがここに起きているわけだ。ビジネスチャットではどんなに激情していても、どんなに甘やかしていてもきっちり日本語を使おうとすればするほど、つまり上の世代であればあるほど、といいますかビジネスの場がビジネスの場であることに忠信しすぎればしすぎる奴であるほど、このギャップがいとも簡単に生まれる。
遺族がどんなに怒りくるっていても、伝わるわけがない。なんならその矯正施設の連中が(jここで机をばーんとたたき)みたいなことをするというのか?演劇の台本じゃないんだよ
しかもそんなものをオンライン登録でもできるようにしていると……それをすごいとでも思ってくれとこの頭の悪い国家は言っているのだろうか?そんなものDXにしたことがすごいとマジで思っているのだろうか?たかが国家の構成員の大半が携帯やPCもまともに扱えないからといって、そいつらが使えないことでもサービスに仕立て上げられたから褒めて褒めて、と歓びの税金欲しがり全裸ダンスを踊っているのだろうか?