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宮本浩次が【今日】NHKの紅白でテレ東系「ガイアの夜明け」の主題歌を歌うから見ましょう

夜明けのうた

ガイアの歌もそうです。初めてなんです。きれいな声でと言っちゃ変だけど、ロックで叫ぶ歌が多かったんだけど、初めてこんな素直な気持ちで、優しい気持ちで、等身大の思いっていうのかな。恥ずかしくない自分の思いをそのまま歌ったのは。

ガイアの夜明けは2020年以降、当然ながら打撃を受けている産業がいかにして努力を続けているか、もしくは奇跡的に立ち直ったかを番組制作として構成するようになりました。ごく自然なことだと思います。画像をお借りしている。

そして先にも引用した宮本の夜明けのうたインタビューでは、ガイアの夜明けプロデューサがインタビュアーとなって話を聞いているため説得力があります。

前回申し上げたようにぼくはガイアの夜明けが好きだった。その割に、

2020年1月7日にリニューアルした経済報道ドキュメンタリー『ガイアの夜明け』(毎週火曜夜10時)。エンディングテーマ曲も17年ぶりに歌詞のある曲が起用された。
(同上リンク)

歌つきテーマがこれまで(ぼくがガイアの夜明けを知ってから)なかったことを初めて知りました。

ぼくは久々に見たガイアが宮本の歌とともにある(しかもOP,EDともに1つの歌が使われるというケースは多分初めて体験したことだと思う)ことを知ったのが多分2021年以後だったため、世界がこうなってから宮本の歌が採用されたものだとばかり思っていた。つまりここまで究極的に経済が分断に追い込まれた現状を歌っているのだと。

しかしながら上記インタビューにもあるように、ガイアで夜明けのうたが流れるようになったのは2020年ド頭のことでした。

夜明けのうたのイメージは、ともし尋ねられた場合、全くすべてが上手くいかなくなってありとあらゆる生命が終わってしまった、荒廃した世界に日が昇ってくる感じが想起されます。

ガイアの夜明けという番組事態も確かに、ピンチを迎えた企業が立ち直る・起死回生を図る姿をドラマチックに描いているため偶然にも番組のコンセプトがこの異常事態とマッチしただけと言えるかも知れない。ガイアの夜明けはもともと悲しく打ちひしがられた世界を映し出していた。

宮本も似たようなことを話していた。

シーン自体というよりか、追っているガイアの視点が印象的ですね。言い方が難しいのですが、非常にほっとする視点というか。
番組が追いかけているのは、いわゆる努力をする人たち。大スターでもなく、自分たちの日常を思わせる人たちで、夢を追いかけている。

ただ、インタビューがアップロードされたのは3月でした。世界はその頃すでにこうなっていたのかいなかったのか……

紅白に出た形態が全て違う宮本

つまり夜明けのうたは歌合戦で歌われるにあまりに相応しい歌だといえます。なぜ去年ではなかったんだろう?去年にこそ相応しかったのではないだろうか。

宮本自体はエレファントカシマシとして2017年に「今宵の月のように」で出番が、チームと関係ないコーナーで椎名林檎とニュースの主題歌をその翌年に、ということで2回目の出演とか初出演とか言われているようでした。

番組に出る形式が全部違っているミュージシャンて珍しいように思えます。まるで次々にコラボレーションユニットを組まされる売り出し中のアイドルのようで……などという表現は宮本がかなり嫌いそうなため言いづらいですが、先程示したような新しい世界の象徴という意味での偶像足り得ているようにはどうしても思えてしまう。

ということを前回も今回も述べていますが、いきおい宮本は夜明けのうたで歌われている「夢見る人」「Dreamer」の一人であるようにも思える。

ぼくはミュージシャンの年齢にあまり執着がないので彼女/彼が何歳かということをほぼ知らずに過ごしていますが先のインタビューでは宮本が53歳を迎えたことを初めて知りました。つまり

53歳にして初めてソロで出場した人

みたいな見方もできる。

ぼくは最近、M1で優勝した錦鯉のことばかり書かせてもらっておりますが彼らとも通じる見方をされるのかも知れない。ぼくはそこまで思ってはおりませんが……

ガイアの夜明けでは自分より上の世代が当たり前のように登場することも宮本は意識しています。ただもちろん宮本に近い世代の人も出るわけでして、ぼくは割と宮本の世代に近い人々がメインのゲストであるように思いながら番組を見ていた。

すると途端に夜明けのうたに説得力があると想起されます。彼女/彼らと近い世代である宮本だからその世代の夜明けを歌うことができる。ぼくは先に述べたように歌う人の年齢はさして気にしていないため、宮本が経済ドキュメンタリーの主題歌を歌うことは元々素晴らしいことだと思っていましたが、世間には年齢だけがものを言うと捉える層もいることでしょう。

そのような主張をする層に対しても宮本の歌は響くことでしょう。ぼくらは宮本の歌を聞いて何を思うのでしょうか。ただ12月が1月に変わるだけだとぼくは思います。

3拍子

夜明けのうたは3拍子です。エンディングテーマであり三拍子の歌となるとぼくは途端に深い郷愁のようなものに包まれそうになる。

それはげんしけんというアニメのエンドテーマだったあつみさおりの歌を思い出すからです。こちらも三拍子だった。

げんしけんは巧妙におたく向けというカバーで誤魔化したあまりにもリアルで厳しい現実を突きつける青春群像劇です。あまりにもガイアの夜明けと似ているとすらいえる。

げんしけんではもう救いようのないおたく野郎がそれまで毛嫌いしていた、あるいは毛嫌いする必要もないほどかけ離れた文化圏の中にいるアパレルで働いているようなギャルを好きになってしまう。

その女には彼よりも何もかも高スペックな男が既にいた。始めから始まった意味さえわからない恋だった。

アニメ開始時点ではそんな終わり方をするなんて普通の視聴層は知りませんが、知っている側からするとこの歌の「吉祥寺あたりの安賃貸で半同棲しているような描写」が胸に突き刺さります。ぼくは夜明けのうたを聴いて、それも思い出してしまった。

お読みくださりありがとうございました。あなたの12月が何事もなく1月に変わりますよう。

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