おりこうとおうち時間、映画ポケモン感想
今日プレミア公開がありました。
※書いている者は、ほとんどポケットモンスターについて詳しく有りません。しかしながら内容について遠慮なく触れていますのでご注意ください。
感想
ミュウ2は、人間の科学的な研究のようなものを介してミュウから作られたのだと知りました。
彼/彼女は生まれる前……生まれた瞬間から人間の大人以上の自我を持っており、割と非道な過程を経て人間に無理くり生まれさせられたというように理解したみたいです。
声優さんについて
また、小林幸子の声が美少女施設管理者から飛び出して来てかなり驚かされました。
そして林原めぐみの声をあまり聞いたことがないのですが、かなり存在感のある、鋭い……心に訴えかける声だと思いました。相当の人気があったことにかなり納得できると思いました……話の随所で、モンスターを鑑定してDNAか何かを採取しコピーする場所にあるモニタにコピー中のシルエットが映し出されるたびに、気の抜けた声でモンスター名を呼ぶのが緩急ありすぎて当時公開中に見たファンは笑うことを我慢できなかったのではないでしょうか……
また古谷徹と思われる方の声まであり、驚かされます。
※ここまで断定的に書いておいてなんなのですが、声優さんの情報は推測に基づきます。
古谷の場合は、かなりエンドユーザ側が抱く印象に応えるかのようなねっとりとした演技だと思いました。
戦いへの過程
ミュウ2は一国の城主のような立振舞となり、なにやらMOTHER系列のサイコキネシスのように指を振って何かと交信しているように、何かを呼び寄せているような行動をとりました。
そのサインに応えるように、海の底からミュウが登場します。
またミュウ2はポケモントレーナーと呼ばれる人々を城に迎え入れます。人類など超越した存在である自分と勝負しろという意思を表明して、逆らった人間をそのオープニング時から披露し続けている破壊兵器のようなPSIで遠隔から掴み上げ、空に浮かばせました。
ぼくが日頃見ている物語がそういった方面に偏るからなのでしょうが、そういう物語の文脈に従うのであれば人間の体ごと空中で破裂させただろうと感じました。
劇場には子供が多いでしょうし、そんなことは当然しないとも思うのですが……
すっかり人間は醜い生き物だと思われてしまったようでした。この星がよろしくないことになると判断したようです。地球自体は気に入ったのでしょうか。
VSミュウ2
物語の佳境では、自らのコピーと戦い続けるポケットモンスターを見て、林原めぐみが自分で自分を傷つけているように見えてとてもつらいというような意味ありげな印象的な旨を話します。
そして戦いをやめさせるために傷つき倒れた主人公を助け、もう一度起こそうとするピカチュウ……しかしどう呼びかけてももう起き上がることはありません。体が細胞ごと変容されられてしまい、別の物質となってしまっている(=死)ように感じます。
そして人間とモンスターの心の行き交いを見たミュウ2は、この出来事は誰にも教えない方が良いのかもしれないと戦っている最中のミュウに語りかけるように独りごちます。
自らのおこないを恥じ、反省したのでしょうか。
おりこう
また冒頭で述べたように、あるいは他noteでも書いているようにぼくはポケットモンスターについて知識が浅いため、バーチャルYouTuberの同時実況を点けながら見ました。
とはいえ、映画の音声をどうしても大きくしがちなため、上映中の上記2人についての会話が熱心に聞けたわけではありません。
上映後、魔界ノりりむ(以下りりむ)はミュウ2が人間の自分勝手で生み出されたにもかかわらず、我を通して生きる選択をやめ、誰の害にもならないように身を隠して生きることを選択したことをとても儚い、つらいと嘆き悲しんでいました。これ以上語ると泣いてしまうため話を一旦止めたいと言うほど。
結論としては、人間を滅ぼしてえというものに至りました(魔界ノりりむは魔王サタンの娘です)。
確かにミュウ2は人智を超えた存在であるため、すべての生命にとって一番最適だと思われるその回答をごく当然に導き出し、その通りに行動するよう自ら至らざるを得なかったように感じます……
また終始りりむが可愛すぎる、登場するたびに悶てしまうと感想をこぼしすぎていたミュウですが、声が山寺宏一であり結果的にぼくは一番驚かされました。
卯月
また卯月は、劇中でコピーされたニャースが人語を話せなかったが、それは元々の能力値のみコピーされたからであり、林原のもとにいるニャースは経験=人生によって人語を勝ち取るに至ったからであると話します。いかような技術があったとて、人生経験はコピーできない。
自ら望んで生を受けたわけではない彼らは、これからニャースが人生経験によって得た言語能力のように、それぞれの人生を勝ち取る旅に出るのだと。
それを探す旅を始めることがすなわちアイデンティティを獲得することであると話します。ぼくはこれを、一度上映を見ただけでは得られ難い教訓であると感じました。
最後、卯月は年齢をコケにされた(なんで中学生の癖にそんな古い映画を一度見たことがあるのか、本当はおじさんなんじゃないのか→実際はコンテンツを好きになった際に、映像コンテンツをすべて買い求めたから知っている)ことを怒り、ミュウ2のようにこの悲しみをどうすれば良いのだと嘆き、巨大化してりりむに襲いかかって終わりました。
閲覧ありがとうございました。
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