#生フレンチクルーラーのかんそう
ぼくが食わせていただいたのはエンゼル&ベリー生フレンチでした。
概要をコピってくるとこうなる。
サイトを見て思い出したんだけど、ぼくはフレンチクルーラーが嫌いだった。嫌いだったというと語弊がある。フレンチクルーラーの「何もかかってない部分」に何の価値も感じなかったのです。
油で破壊された小麦の塊なのかなんなのかもわからないアレが、パンでもDonutsでもなさそうにしか見えない、味わえないアレの意味がわからんかった。つまり生地ですね。生地なんてメインなんだから、あれに興味がわかないのであればその商品はぼくという生活者を潜在顧客にはできないのだ。
だからこの生フレンチクルーラーを常設にすりゃ良いんじゃないですかと思うんだけど、あの油が固形になったようなアレじゃないと大量生産とかのための採算が取れないのでしょう。非常に残念である。
ぼくはこの生フレンチクルーラーを朝すぐ運動するための糖として摂取した。するとどうでしょう。あの生意気な脂ぎったフレンチクルーラーの生地のそれとは違う、同じフレンチクルーラー種に属すとは思えない一撃がぼくの背筋を貫いた。
貫いたといいますか、その時点でぼくは当該食べ物がフレンチクルーラー種であると認識していなかった。つまりなんか美味そうなDonutsでんな、という感触で一日のうちの最大運動量をもたらすための砂糖を体に収容できればなんでも良かった。
果たしてその甘い何かはフレンチクルーラーとは全然違っており、生地がまともだった。食うたびに中から果肉のような苺が溢れてくる。皿で食わないとたぶんこぼれてしまう。だから紙皿に当該品が入っていて、紙皿にいちいち入れないと形が保てないっていいますかぼろぼろこぼれてしまうから、面倒な紙箱に入れられて客に渡されるのだ。
以前鎧塚がプロデュースしたときも感想を書きましたが、あれも良かったけどなんか今回のはそれらと大量生産性のちょうど中間より上位にある合理性がある内容な気がする。
食い物の評価で(別にぼくは偉そうに評価とかがしたいわけではない)「合理性」みたいな単語を打ち出すのはなにかが違うかも知れないけど、苺ジャムみたいなのが途切れることなく詰まってるのがとにかく良かったし、この袋が面倒だという逆アドバンテージさえ気にしないのであれば贅沢な運動前の朝飯として有用である。
そう毎日毎日運動しなきゃならない朝が来てもらっても困るんだけど。