日本テレビのモラルがどこに消えたのか気にする時間が勿体ない
聞きたくもないんだけど、今日のeveryが耳に入ってしまってその時に耳を疑ったことがありました。ヘッダ画像をお借りしています。
概要を説明すると、強盗に入られた漫才見習いみたいな人々がいて(多分若いから多分自転車操業的に漫才大会みたいなものを開催しているのだろう 多分)強盗に入られて、金銭を奪われたのが可愛そうだね、というバラエティ的な報道を番組的にはしたいようだった。この時点で何のモラルもないことを自覚できていたらこのようなことにはならなかった。
クリティカルなのはその後です。
本件がなぜバラエティ的に色付けされたのかといえば漫才の人々はこれにくじけず、強盗されたから開催する大会みたいのを開いたらしい。この向上心的なものをほのぼのと笑えというのだ。
耳を疑ったのはディレクターかなにかの男の言葉だった。金を奪われた当事者が、上記大会を開くということでインタビューに及んでいるときに「話題作りのため(に自作自演で強盗騒ぎを起こしたん)じゃないですよね?www」と言った。
この男の感性って大丈夫か?
声と文面のギャップを埋めるためにwwwと書きましたが、つまり笑いながら言ったわけです。お前らww自作自演で世間の同情引くためにwwwww強盗に合ったって嘘ついただろwwwwwwwwwwwwwwと。
ここで権力について考えましょう。
報道機関とは、権力の監視機関に過ぎない。強大な権力を持ちがちな公的機関なりその他企業なんかがその権限の使い方を勘違いし、それこそ法に触れるような異常行動を起こしたなら、それを報道して白日の下に晒す。監視そして発露が実施される。糾弾される。
このように権力側に対して報道は、その権力の使い方を勘違いしないように行動を抑止できるわけです。
今回の構図において権力が報道の側にある。少なくともこの語を発した男の側に間違いなくある。
「犯罪被害に遭ってしまった」というニュースの取材だろうと、曲がりなりにも漫才を生業とする人々がマイルストーン的に目指す「テレビジョン」という場を経由したメディアに露出できるというアドバンテージをあからさまにこのディレクタは漂わせながら当該漫才の人々の取材に当たっているわけだ。
ディレクター様はお前らにとって神様だろ、何を言われてもTVに出れるならありがたいよな?と無言の圧力をかけている。わかりやすいパワー型ハラスメントですね。
犯罪被害者側は、生活を揺るがされるほどの被害にあっているにも関わらずその卑劣な言葉を受け入れてしまう。へへww違いますよwwwと。実際そうでした。え?今のキレるとこだよね?という評価が妥当ではないだろうか。
上記で強調表示したような暗黙の了解を受け入れてしまうような土壌があることをまずぼくは憂う。
テレビ局(制作会社) > 素人エンターテイナー(あるいはプロも同様だ)
この狂った図式は、人間同士が決して当価値ではないことを示しています。職業差別とすら言えるかも知れない。
もともと日テレ側の「視聴者をなめきった番組作り」は認識していたので、何をしても今更(それでも今更というなあなあで濁してはならないはずだ)かもしれない。それは内容を引っ張るだけの番組作りしかできず、何をするかといえばこの後すぐに結果を示すと述べて何度もCMに移行するというような、多分何十年と繰り返される稚拙な数字稼ぎ行為なんかが代表する。
腐ってしまった沼に首まで浸かる、とは何をもたらすのかについて一度ぼくたちは考えるべきなのだ。
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