好きな女のUGCになってCVに貢献した
題名で言いたいことが終わってしまった。そしてぼくはぼくにそんなことが起こるわけがないと思っていた。このように仮想世界でしか生きられない身体なので─────
カラオケで歌を歌ったわけです。現代とは分断の世界なので、ある場所でド有名でもある場所じゃ異端レベルに無名だ。そういう歌を歌う。そういう歌しか歌えない。
一般的にカラオケでそういう歌はうたってはいけないとされている。場の空気が凍り散らかしたりするからでしょうね。でも別に居合わせた者が理解ある者であればいいはずだ。
ぼくはぼくが歌った歌を説明しながら歌うんだが、ぼくの拙い歌でその商品のよさが出せたとも決して思わないのだが、その歌を再度きちんと聴くということを居合わせた者に喚起することができた。ぼくのバーチャル生にそのような瞬間が訪れるなんて起こるとは思わなかった。その時はさらっと流してしまったが、割ととんでもないことをしたんじゃないか?と思った。
ぼくは普段から自己が好きなものばかりについて書いてい、それ以外は体制に逆らうといいますか強大な権力が立場を勘違いしてるときに何の遠慮もなく批判するためにそんな内容のことを書いているわけでして─────最近その比率が逆転してそうであまり考えたくはないのだが─────基本的に好きなことしか書きたくない。
だからむしろ、普段やっていることがUGCなのだが、そもそもぼくは周りに何かを推薦しようと思って書いてるわけじゃない。俺あこういうものが好きだというごく個人的な現象が、俺という個人の視認範囲で起きている(心のなかで起きてるんだから、そりゃそうだろといいますかそれ以外に何も起こりようがなさそうだけど)という事実を記録しているだけに過ぎない。
推薦というクソ文化……いや押し付けにまるで興味がわかない。押し付けられた瞬間に、多くのケースにおいてそれは異物つまり敵に変わるわけだ。
そしてさっきも言ったように、それが好きな者が集まってる場所とはそれぞれ隔離されているわけだ。その言葉自体は昔っからあるし、むしろぼくはずっと前から使ってたんだが、急に流行り始めたので使いたくなくなってしまった例の言葉である。
つまり、それが好きなことが前提の連中が集まってくるわけだから、連中同士の間でUGCが発生する可能性の芽はことごとく潰されるわけだ。別途知らないものを薦めればそりゃUGCになりうるだろうが、あくまで別のUGCである。すでに知ってしまっているものはどうやってもUGCにはならないのだ。
だからぼくは群れないがゆえにそのようなことに悩まされる経験もなかったのだが、どことも交わらずその時思いついた場所に交わるだけなので、そもそもそのような群とぼくの前提など全く異なるわけだ。だからぼくの匙加減で、やっぱそういう特殊な環境下にあるものを歌おうとするなんて場が冷えるからやめとっっか………と思えばなんらのUGCにもならないわけだ。
そこで勇気を出してやっちまうことで最終的にCVを生む。それはある意味貢献であり、好きなものに貢献するという感覚もいまいちぼくはこの新様式の消費敵価値観の中で肯定したくないのだが、そのようなことが起きてしまった。そして悪くない気分でいた。だが、それを誰かに知ってほしいとか思ったわけじゃないのでこのように限りなくぼかせるだけぼかして話している。
そのときにぼくの心のなかに何が生まれるのかが気になって明文化しているのだが、まだ何が生まれてるのかわかっちゃいない。すぐにわかる必要があるとも思えないし、無理矢理知ろうとするような墓荒らしのような異常行為(そう、それは異常行動に思えるのだから仕方がない)が適すとも一切思えない。嬉しいな、友情だな、でいいんじゃないだろうか。そしてそれを再現できるかどうかなんてどうでもいいわけだ……