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病気と病気の境目について(とASMRの良さについて) -実践2-
初回、2回目はこちらから。
HSPについてチェックできるようなのでひとつひとつ項目を見ていきましょうとしているところです。
意外と項目が多かった。現代病ってなんなんでしょうね?とお話して(答えは出ません)、25ぐらいある項目の1/3ぐらいを回答していました。
9.大きな音や騒音がとても苦手
問いの本題がセンシティブチェックなので、設問として非常に説得力があると思えます。仮にぼく自身の体験に当てはめるのであれば、大きな音や騒音に迷惑であると思わないでいいようにそういう現場であれば積極的にイヤホンで耳を塞ぎ、職の業に没頭します。
しかし、その際にイヤホンから流れいずる音は、第三者からすると非常にけたたましくそれこそ耳障りな楽器演奏であったり、黄色い声がキャーキャー走り回るかのようなYouTubeからの音声だったりする。せめてもの言い訳としまして、ぼくはホラーゲーム女の方の急激に叫び出す音声というものが非常に苦手です。場合に依っては「ああ、この配信者さんはオープン環境ではないリスナーのことは考えてくれてはいないのか、自分の見せ場を作ることが優先なのか」という歪んだ考えを、好きなジャンルであるバーチャルYouTuberに対して思ってしまうほど。
集中したい環境でASMRサウンドを聴くことはぼくの集中力を高めるひとつの選択肢であると自負しているほど、寝に落ちるための音声を大きな音で流すことについて拘りを持っているつもりです。自分でもそのちぐはぐさが生物として正しいのかどうかわかりませんが、適しているものは仕方ない。異端であると自分に酔わないようにしたいものです。【解答:△】
ASMRの良さについて
強く余談になりますが、ここでのASMRとはひとえにぼく個人の主観による分類となります。
一般的に咀嚼音とか、バーチャルYouTuber的なジャンルで言う優しい女の方の声や耳かきのような安らぎ系の音を選択することはほぼ有りません。他には単に焚き火の様子がただただ流れるものとかも近年では該当するでしょうか。
ロックと言うか歌のジャンルと同じで、主観者がその音を好きになり心が安らぐのであればすべてASMRと断じてもぼくは良いように感じます。格好良ければ演歌もロックといえるでしょう……
昔話を読み聞かせたりする音声は声質によっては非常に適していると思うのですが、積極的に拾わせていただくジャンルかといえばまた違います。
いわゆる配信なさっている方の顔や性別はおろか、そういった個人情報さえよく見えないものを好んで聴いています。
表現として攻撃的な意味ではなく「ノイズを最大限まで除去」して、環境音に没頭できる状態が非常に望まれます。
こういった状況造りはいわゆる効果音のフェティズムにも該当するように感じます。
ASMR的なムービーをアップロードされる方々のなかにおいては、フェティズムのひとつとして捉え、自らのジャンルをそう語られる層もおられるほど。
ぼくが例に出させていただきたいのはすなわち火器や刃物をそこまで用いない料理のHOW TOもの。
自然と火器を使わない、洋菓子をおひとりで淡々と作ったりなさる短編ムービーを観ることが多く、折に触れてぼくがnotesでも書いているその体調管理に抜群に貢献しているココアとかを飲みながらなど環境を万全に整備することで特に効果的に聴くことになるのですが、既にその項目について述べるために1000字ほど使いかねない状態なため、またnoteを分けたほうが読んでいただく方にとっても書く側にとっても気楽なように思いますのでいずれまた書かせて下さい。書く内容に困っているためひとつ話しができたと喜ばしいものとしたいです。
ちなみにnoteに書くためのお話を例示くださるのは随時お待ちしており、どなたでも匿名で以下のフォームから送信できますので、どうか宜しくお願い致します。
10.優しく親切な心を持っている
こちらも前回拝見した設問同様、自分で自分を褒めそやすようでなかなか自分からは「はい」と言いづらいのではないでしょうか。センシティブな度合いをチェックする項目で有るのであれば尚更です。
「い続けたいなぁと思っている」とかなら応えやすい方もそれなりにいるような……いらっしゃらないでしょうか。ぼくは優しい心を持ち合わせておりません。【解答:×】
ぼくはSNSでこのチェックドキュメントを見つけたのですが、ことSNS上だと「優しい」と評せる書き込みを見かけたことがついぞないように思えます。といってもパブリック・サーチ等で表出しがちな書き込みというものの中にはいくつかそういった検索結果に表示されることを自ら望んでいるもの、つまり投稿者の「我」が多分に含まれがちなようにも思えます。本当に優しい書き込みをされるかたというのは、そのような検索に引っかかるように言葉を紡ぐことなく、何か祈りのように書き込みをおこなっているのかもしれません。あるいは非公開アカウントなどにすることで、その祈りをより純真なものとして崇高な存在に捧げているのかも。
後記
やはり23問答えただけで夥しい文量となってしまったため、続きはまた後日に回したく存じます。
おつきあい下さりありがとうございました。
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