森井のくずきりSINGER in DA HOUSE(ミッシェルガンエレファントのラップ性について)
LOVEとPEACEが違うことについて、SINGERとラッパーは違うことなのか。今日もちばゆうすけについて書いているだけです。ヘッダ画像をお借りしています。
そしてターキーはラップだとぼくは思っていること、むしろロデオ・タンデム・ビート・スペクターがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのラップ体験を完成形に導いたことによるものだという考えについて説明したい。
もちろんその後もサンダーバードヒルズに片鱗が残ってはいる(あとは昨日も言ったけどブラッディパンキービキニのこの題名を言う部分ぐらい)のだが、ロデオ・タンデム・ビート・スペクターのリリース日に初めて世界に発表されたほど、SABRINAHEAVEN内でアーリーアダプタの立ち位置という特殊性があるのでご理解いただきたい。
言い換えるとSABRINAHEAVEN以降、以降と言ってもSABRINAHEAVENの後はSABRINA NO HEAVENしかないのだが……あるいはロデオ・タンデム・ビート・スペクター以後には太陽をつかんでしまったEP、GIRLFRIEND、エレクトリック・サーカスEPしかなく、このカップリングの歌ですら見事に歌物ばかりである。歌物という単語を、ぼくはカナリヤ鳴く空をリリースし始めたスカパラのインタビューを読んだ時に初めてしった。つまり歌物という言い方はぼくが侮蔑する邦楽系雑誌の始めた言い方であり、そこにコミットメントを見出したくはないのだが……
コンセプトEPとしてのロデオ~が別にラップとか関係なかった事実はあれど、赤毛のケリーや暴かれた世界以外の歌には結構ラップ感がある。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのこれをラップということに拒絶反応がある人も別にいることだろうと思うので強要はしない。思いっきりメロディ先行型の歌であるという意味。
SABRINAHEAVENを例に挙げると顕著である。
「ブラック・ラブ・ホール」:強いて言えばニャオがラップか?
「太陽をつかんでしまった」:どこをどう切り取っても歌物
「ヴェルヴェット」:題名を小さく言う部分がラップか?
「メタリック」:どこをどう切り取っても歌
「ブラッディ・パンキー・ビキニ」:上記
「マリアと犬の夜」:どう切り取っても歌
「ジプシー・サンディー」:凄まじいレベルで歌、これをセッションで生み出せるレベルにまで後期THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが達していたのであればそれはもはや追うべき未来が見えなくなって解散してもおかしくはないと思えてしまう
「マリオン」:上野に言わせれば最初くはらと二人だけで20分ぐらいあった歌であり、上記クソ雑誌にはオルタナティヴだと評されたらしい。オルタナティヴの意味がよくわからんので文字を使ってるメディアなんだったら文字でわかりやすく説明しろとしか思えない。それは差し引いても非常に歌物
「サンダーバード・ヒルズ」:上記
「NIGHT IS OVER」:ボーカルレス版、実は譜割がちょっと違うのだが何の意味があるのだろうか
そして初期THEE MICHELLE GUN ELEPHANTでも歌の気配はものすごく強い。LAST HEAVEN TOURで久しぶりに歌われるように鳴った歌としてとかげ、ストロベリーガーデン、I was walking & sleepingがあるが、恐ろしいほどに歌だ。あんたのどれいのままでいいとかスイミングラジオも同系統というのは乱暴か。スイミングラジオはむしろ、リリースされなかったことでリフがその生まれた十年後ぐらいにブラックラブホールへ転用されて生まれ変わったとさえ言えるのではないか、と思えてしまうほど歌に原点回帰しているように見えてしまう。
でももちろんそのあと千葉自身はアウトサイダーとかwallとかstupidとかもろラップ(このページの定義における)をリリースしているので、別にこの話自体が意味無しになるかも知れないけど。
というわけで、歌物に戻って解散したTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTにおいて、ロデオ・タンデム・ビート・スペクターはラップの完成形がその一部である、内包しているといえるわけです。
上にちょっと書いたけど歌物をセッションで作るのは無理じゃないか?後期はもはやそんなことができるようになったのであれば、それは千葉の能力が恐ろしすぎる。