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敬称・敬語とかいう鎖国的囲い込み文化

SNSでのアンケートに参加する。それだけのことで分断が進むことに泣きそうになる。ヘッダ画像をお借りしています。

とはいえちょっと誇張してしまったかもしれない。題意はマナーと利便性の境目について。

返信用封筒に相手企業の名前や担当者の名前が印字されているケースにおいて、さらに敬称も印刷されていた場合どう思うか?というものでした。

まずこのアンケートについて異論をバキバキにぶつけたい、人と激論を交わしたい、俺の意見をまかり通らせたい、と思うような時点で、その人は単純に著しくSNSに向いてねえんじゃねえのか?という疑問を抱いてもおかしくはないと思うのはぼくだけでしょうか。

ぼくは何の疑問も抱かなかったんだけど、アンケート意図を後から知ったことでなんとなく質問の意図が理解できた。それは自分で自分の敬称をつける感じが無礼に見えるか←→相手(当該返信郵便物の郵送者)がいちいち字を書く手間をなくさせていていいと思うか、どうかということでした。

別にどっちもどっちなような……気がしますね。相手に様とか御中とかつけなかろうが別に郵便は届く。昨日も言ったような気がしますが、日本の敬語文化がそもそも狂っている。いたずらに工数を増やしている。余計なプロセスを挟んでいる。

自らしばりプレイしているようなものです。日本は敬語文化などというものを取り入れることで、敬語がわかるやつとそれ以外をガキの頃から見分けられるように染み込ませている。これを洗脳と言わずしてなんとする?村八分文化がお好きっすね……と言わずしてなんとする。

つまり現代において「わかってないやつを弾く機能」しか敬語文化にはないし、そんなん単なる分断、鎖国(日本語ネイティブでもなければ敬語、および敬語の空気感なんてわかるわけがない)を招きたいがためのツールでしかないじゃないか、と。敬語を使うメリットなんて高年齢層のプライドを守るぐらいしかないわけです……逆に言えば高年齢層はそんな「見た目」みたいな浅い文明にしか価値を見いだせない人々である。ぼくも今このように、そんな意味不明な価値観でまるでエントリーシートの大学名で足切りされるみたいな事態を避けるために「仕方なく」敬語を使っている。なんと情けない。

案の定、あらかじめ返信先である自らの企業名なり個人名をして敬称を印字している相手に対しては蔑む宣言をする層がいるらしい。これはぼくにとって非常に悪い意味で目から鱗滝左近次だった。

「敬語を(正しく)使えるやつ」と「そうでないやつ」をふるいにかける行為に人生の意味を見出している。分断こそに我が意を得たりとして生きている。言わなくていい分断宣言を一生懸命発している。私は差別主義者です、とそのうち言い出さないか心配になる。

つってぼくもハンドルネームとかに敬称を入れてる人(「~さん」、「~部長とか役職名」、「~先生」、「~ニキネキ」←世も末だ)を見ると「関わるのやーめとこ」と思うので人のこと言えないかもしんないんですけど。

だって第三者である人さまに対してコミュニケーションの冒頭から「俺様に対しては敬称を込めて呼び、敬称を使うべき存在として扱え」と周囲に触れ回ってるヤバ人間ってことじゃないですか?

このサイト内ではいかなる場合でも返信行為をしていません。