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現代スモーキン・ビリー学総論
最初ぼくはやにで固めている抱き千切れてと聴こえていたし、今でもそう思っている。
この前概論を書いたので総論を書いている。
イントロ
B B / B B B B
B D E A B D E A B D E A B D E A
①
Aメロ
Bm Bb Bm Bb Bm Bm
コーラス
B D E A B D E A B D E A B D E A
②
Aメロ
Bm Bb Bm Bb Bm Bm
コーラス
B D E A B D E A B D E A B D E A
ギターソロ
Bm Bb Bm Bb Bm Bm
Bm
Bb
③
Aメロ
Bm Bb Bm Bb Bm Bm
コーラス
B D E A B D E A B D E A B D E A
ギターソロ
C# E F# B C# E F# B C# E F# B C# E F# B
B D E A B D E A B D E A B D E A
最後のA
B
コーラス
B D E A B D E A B D E A B D E A
B D E A B D E A B D E A B D E A
アウト
B
B
このようにイントロが最後のAメロになっていて、さらにアウト部分とも同じだってのがわかるだろうか。こんなきれいな方程式のように創られてる歌をかつて見たことがなかった。
あんな暴れ馬のような歌に聴こえてきちんとしたところがきちんとなってないとそのへんの野良グループのような歌の体裁を成していない歌に成り下がる。
ボーカルだって実は終始Dキーにしか依存していない。なのでカラオケでBキーの音符を割り振って歌うと非常に尊厳破壊みたいで気持ちがいい。F#でずっとメロディが出てると思われるんだろうが、上記はき千切れて~とかが最後のAメロだとここはキーがDじゃなくBになってるからそれに合わせ……とボーカルの音程だって異常に繊細だ。チャイナとかキャンディハウスのハーモニカでも同じ現象が起きているが、あれはわざと違う音階のを選んでると聴いたこともある。単純にどのキーを使えばどのキーに対して変な音が出せるようになるのかがわかってる。単純に千葉の頭がいいわけですね。
まさかイントロで弾かれているコードだけの音にこんな深い意味があったのか……と初回の歌聴きでは気づけないのではないだろうか?だって色んな常識がこの歌で壊されるから。
だってそれまでBだったのにいきなりDキーのBmにAメロでなってしまう……この急激な変化はまるで猫の喧嘩に水をぶっかけるようだ。この場合の猫とはオーディエンスではなかろうか。
当初のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは馬鹿みたいに騒ぐ聴衆よりも俺達の演奏を聴いて打ち震えろと思っていたように思う。タワーレコードカウントダウンでもちばとくはらがうるせえこと言ってくる奴らいたけど……(肩でぶつかって嫌がらせのように避けていく動作)とした上で、くはらが畳み掛けるように&シカトよ、と言っていた。折しもスモーキン・ビリーが入っているギヤ・ブルーズのインタビューじゃなかったか。ぼくは何で見たんだっけ
だが、同年つまりスモーキン・ビリー直前の夏の富士ロックフェスティバルでは演奏が止められるほどリスナーが暴れすぎ、あべに至っては演奏を止められることとその時の自分の勢いが混同されでもしたのか聴衆に怒りをぶつけていたように思える。てめえらが騒ぐせいで俺がギターを止める羽目になっただろうが。
スモーキン・ビリーは何番みたいな分け方をすると普通の歌の2~3よりもはちゃめちゃに多い。体感5番ぐらいあると感じますよね?特に最後のイントロの繰り返しでは一瞬止まるあれに加え、ステージ板だと最後に千葉がI wanna goとCD音源の公式な歌詞と真っ向勝負するようなせりふをはいて終わる。だがこれはもはやせりふと受け取るほうが嫌がらせまであるだろうから、別にどうでもいい。
それまでのシングルはGWDで2番まで、次のアウト・ブルーズでほとんどスモーキン・ビリーと同じ編成になった。異様に番が多い。
Aメロがあってすぐコーラスが来る歌を作ることにこの頃のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは長けていたし、価値を感じていたんじゃなかろうかと思う。実際そういう恐ろしく単純な歌でいい歌だったらちょっと凄すぎるんじゃないか。だからこの歌が愛される……のだろう。
だがアウト・ブルーズはステージ版だと恐ろしく長くなるが、資料からは後期THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは目立って演奏していたとは読み取れない、思えない。ステージ版だとbreak on through to the other sideという歌詞の部分が丸ごとカットされているが、これは版権の問題だろう。実際にアウト・ブルーズを演奏するとその辺も含めて7~8分演奏しないと気がすまないらしいから、ギヤ・ブルーズには収録されなかった。長くなるから。じゃあなんでシングルにできたんだ……と思うが作ってたら後々進化してしまったのか。
ギヤ・ブルーズというEPの題名に冠されているからギヤ・ブルーズという歌が存在しない以上、ギヤ・ブルーズ期の代名詞ともなりそうな歌だと思うのにギヤ・ブルーズには内包されなかった。そんなことがあるのか。その後TMGE106には入れられてしまったり、コロンビアの勝手な(?)3枚組にも多分入れられてしまってたと思うが……
だからスモーキン・ビリーはアウト・ブルーズのちからも受け継いでくれとして先行シングルになったしEPにも収録されたのだろうか。
ギヤ・ブルーズはなんか車整備にそのまま喩えるんだとしたら、目を背けたいような脂ぎった部分を歌にした。ボイルドオイルだのスモーキン・ビリーだのキラー・ビーチだのギブザガロンだの……
なのにダニー・ゴーというあまりにも爽やかな歌で終わっててまるでこのダニー・ゴーという歌を今のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTがリリースすることに違和感を覚えられないようにギヤ・ブルーズ自体を全部油まみれにしたのかとすら思えてしまう。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの本質は涙のキャンディ・ハウスなんですよ、と。
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