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23:30年を過ぎて思う事


 

目次

・私の生い立ち、マクロビオテックを始めるきっかけ

・始めの10年間の経過

・始めから20年間の経過

・始めから30年間の経過

・これから未来に向けての考え

・マズローの欲求5段階説から

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 ・私の生い立ち、マクロビオテックを始めるきっかけ

今年2024年はマクロビオテックを初めて30年の節目になります。

その経過を簡単に書きたいと思います。

 

S62年(1987年)の夏、初出産にて大量出血のため緊急輸血を受けC型肝炎ウイルスに感染し劇症肝炎発症、肝硬変で死の淵に立ちました。ほとんど寝てばかり、何も考えず悩まず、感情の無い世界に生きていました。そうしなければ自分が壊れてしまうからでした。

 

1993年に自然食に出会い、1994年から本格的に指導していただき1年で健康に、自分のことは自分ででき、日常生活で負担なく身体を動かせるようになりました。

 

その後、マクロビオテックの食事療法を学び、実践し、体験をしながら、食事と精神、肉体、魂の様々な反応を体験してきたのでその生い立ちを話そうと思います。

 

 

・始めの10年間の経過

血液検査での肝臓の血液状態はものすごく悪くて、どうして改善が見られないのかと、悩む日々でした。

身体は健康に日常生活ができ、子供の世話や家事も出来ていましたから、良くならないのが不思議でしたし、もっと頑張らないといけないと食事療法を厳しくする方法をとって、心は食べたい嗜好品との葛藤でとても苦しい日々でしたし、身体と精神の浄化で毎回違う症状がでて、そのたびに驚き、手当をして改善することを繰り返していました。

 

さらに両親は愛情からの行為でしたが、そこまで我慢しなくても、これなら食べれるだろうかと、嗜好品を買ってきてくれたり、サプリメントを飲みなさいと勧められて、私は怒って怒鳴り散らすほど抵抗しました。

 

浄化反応は、心身共に調子のよい日と具合の悪い日が定期的にきて、寝込むほどでした。

料理教室、ニュースレターを発行しながらも、日々楽しい充実した生活をしていました。

食に対して、厳しい制限をしていたので、学びのために外泊してもオーガニックレストランを選んで食べていました。息子は同じく制限食でしたから、その分健康でくじ等の当りも良く、学業の成績もよく、友達が群がり、我が家に皆ワイワイよって来るような可愛がられる保育園、小学生時代でした。

 

中学生になり、反抗期が始まりました。厳しくしすぎたために母親が私の目を盗んで孫に嗜好品を食べさせていたのでした。親と同居していたので、家族それぞれの考え方の違いで子供なりに悩んだことでしょう。それで食事が乱れたり、学校で事件を犯し校長先生に呼ばれたりして、部活も強制停止され、親子でたくさんのことを話し合いましたので、親子で話せないことは無いくらいです。

 

 

・始めから20年間の経過

初めの頃は人の目を盗んで一口食べても下痢をするくらいの反応がありました。その後食事制限も緩くなり、嗜好品もたまに少しなら食べられるようになりました。1年に1~2回の数口程度です。
ブログを書いて料理の写真をアップをして美味しそうと皆さんに喜ばれ、交友関係も広がり、体力も増えて料理教室も口コミで順調に広がっていきました。とても活発に動いて、色々なところへ出かけ、自分の恥ずかしがり屋さんな面はすっかり息をひそめて、大勢の人前でキビキビと行動して積極的に発言していました。

食事でこんなに行動的に動けることに興奮していましたが、でもまだ浄化の毒は時々出ていて、生理のように定期的に風邪のような症状が出ていました。

 

頭痛、嘔吐、下痢、めまい、しびれ、こむら返り、かゆみ、不眠、鼻血など体の浄化です。過去の骨折や打撲などの痛みもぶり返していました。

精神の浄化で嗜好品が食べたくなるだけでなく暴飲暴食に走り出し、満腹以上に食べる日が年に数回ありました。こういう日は気合を入れお菓子パーティーにして家族で分け合いながら食べて楽しみました。

感情の乱れもあり、泣く、怒る、笑う、塞ぐ、悲しむなど今の自分ではない冷静な自分が観ていました。それは過去の出せずにしまい込んだ古い感情だったのです。インナーチャイルドとも言いますが精神を、自分で自分を癒すことができるようになりました。

 

息子に「食べたいんだろう?食べればいいじゃんか」と嗜好品を口まで持ってこられ、自分の本心を見透かされている状況で、味見だけして気持ちを落ち着かせていました。こちらが寄り添わずして向こうもこちらを受け入れてくれないよなぁ~と思いつつ「これもおいしいから食べれよ」という言葉に「はいよ」と同意して食べることで、息子も自然食を受け入れて同じ食事ができていました。

 

家族は両親をはじめ病気だから食事制限をするのであり、健康に暮らせているから嗜好品は自由に食べてよいという考え方でしたから、マクロビオテックを学ぶとか、料理を作るとかはせず、私が作ったものを食べてくれるというスタイルでした。なので、一人寂しさもあり、悲しかったです。

 

そう言う理由から、私は仲間が欲しいこと、年齢や健康も関係なくみんなで同じ食事をしたい気持ちから料理教室をしていたのです。そしてこの食事で心身が健康になり、平和な世界が創れると本気で思い伝えていくことに全力を注いでいましたから、その生徒さんたちから優秀な方は独立されていきました。

 

 

・始めから30年間の経過

 

私はもっと健康になりたい、もっと広めたい、こんな素晴らしい食事をみんながすればいいのにと、欲望が増え傲慢になっていき、自分は何でもできる、やればできると自信満々の状況でしたが、少し環境が変わってきて、自分の人生を顧みて反省し、人生の修正をしなくてはいけなくなりました。

 

その時に私の食事への考え方を素晴らしいと応援してくれて、仲間になってとお願いされて今のterraがあります。terraでは、心身と魂の三位一体を前提にホリスティック療法でその方に合う方法をアドバイスし、占いから、ブレスレット、レイキアチューメントまで幅広く相談にのって成果を出しています。

私は自然に料理教室は無くなり、食事相談を受けることが増えていき、HSPの過敏体質、発達障害の方、食事での改善を知り実践されたい方を中心にお受けしています。

 

代表のわたもりさんと付き合い始めてから、20年が経っていたので、ようやく自分を許せる気持ちが湧いて外食はオーガニックに特定せず普通に食べるようになりましたし、嗜好品は自由に食べたいものがあれば少し食べてよしと認められるようになり、平日の体調も良好に経過していますが、今も定期的に浄化はありますが以前と比べると短期で軽い症状になりました。 

 

・これから未来に向けての考え

食事相談のカウンセラーとして10年が経ちました。ここまで来るまでには、試行錯誤があり、初めは「こんな私なんか人の相談を観てあげられない」と断りましたし、自分が自分を認めていない、今まで教えてもらう立場だったのを教える立場に逆転するのですから、その壁を乗り越えることは怖かったです。

 でも、terraの代表の応援と助言、今まで学んだことの自負があり、不思議な度胸がありました。

ですから、今までの習ったことを自分のテキストに作り直し、誰でも見てわかりやすく伝えやすく、講座ができるようにカリキュラムを作りました。

 一度にたくさんの方に伝える形式の講座を今まで受けていましたが、私が楽にできる形式は個人を一人一人見つめてお伝えすることと感じていたので、この形式になっています。

 

 ・マズローの欲求5段階説から

私は病院の入院生活から始まり、生理的欲求の呼吸、食事、睡眠、排泄という恒常性の維持から始まり、食事療法をしてきて、1年間食養とお手当でこれらを克服できました。

それから、安全欲求がでて、自分自身の身体をもっと健康にしていきたいと学んできました。

 そして3番目の社会的欲求がでて、料理サークルとして教室をはじめて、仲間ができました。

家庭で家族のために料理を作り健康を維持する方から、周りに広げて仕事として貢献する方まで出来ました。4番目の承認欲求では、講演会の主催をして社会認知されて活動が広がり人々に知られるようになりました。5番目の自己実現欲求では自己の成長のために学び、講座を増やしています。

さらに、6番目として自己超越の欲求として(他者や社会に貢献したい欲求)をして自分を高めていきたいです。

 

ここまで成長し、成果を出せてきたことは、辛抱強くマクロビオテックを実践し、食べ物と心身が繋がっていることを信じてきたからでしょう。さらに魂は宇宙へと繋がり永遠の命を生きるわけですから、自分を含めクライアント様たちのカルマの解消を目指し、幸せに生きたいと考えています。

私の幼少期や学生時代では、創造もできない積極的な人生に変化したことは、やはり食事だったなぁ~と、食の大切さをしみじみ感じています。

 


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吉田久恵
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