【アフターコロナ】学校は行かなくていい!子供が無駄に傷つかないホームスクールのメリット
2020年の初頭、コロナウィルスの発生により3月2日から全国で臨時休校要請が発令されました。
子供がずっと家にいるというのは、学校があることが当たり前で、ホームスクールも浸透していない日本では異例の事態ですよね。大変な思いをされた方も少なくないと思います。
今日はポストコロナの時代、学校は本当に必要なのかということについて書いていきたいと思います。
学校は子供にとってどんな場所?
私は小中高と日本の学校で育ちました。中高は東京にある私立の女子校でした。学校といえば毎日勉強する科目が用意されていて、季節ごとに体育祭や修学旅行などの行事があって、友達関係がうまくいっていれば楽しいところ。
会社と違って勉強も受け身でいられるので楽です。時間割やカリキュラムはあらかじめ用意されており、基本的に授業中は先生の言うことを聞いていれば良いだけだし、多少宿題などタスクもありますが、根詰めて勉強するのは中間・期末の試験前だけ。
でも学校、もしかしたら幼稚園に入ったくらいの時から胸がチクリと痛むことはありました。詳しくは覚えていませんが、それはやっぱり集団で時間を共有することによる人間関係に関してで、ストレスがなかったことはないと思います。
学生時代、学校内で展開される人間関係をヒエラルキーの図に見立てていました。頂点に君臨するのは、一番賑やかで楽しそうな人。下層に位置するのは地味で静かな人。ヒエラルキーで下にいきたくなかった私は、毎日面白くもないのに声を立てて笑っていました。学校の門を潜る前に、小さく気合を入れるのが習慣でした。
大人が会社でストレスを感じるように、子供も学校でストレスを感じています。集団が毎日顔を合わせれば、力関係が生まれたり衝突や問題が起こるのは大人も子供も同じです。(関連記事 コロナが収束してもリモートワークをやめるべきじゃない理由)
私は毎日同じ人たちと顔を合わせるのは、精神健康上不衛生だと思っています。
ホームスクールを初めて目の当たりにした時のこと
私は20代の後半海外で働いていた時期があって、アメリカ人の父子家庭の家の1室を借りていました。息子は小学校中学年くらい。お父さんは弁護士で家で仕事をしていました。
彼は学校には行かず、ホームスクーリングをしていました。お父さんと一緒に考えた時間割があり、時間ごとに様々な教科の先生が家に来ます。彼の得意な語学、音楽に力をいれており、演劇の授業も毎日ありました。休日毎にはお父さんとサーフィンをしに出かけていきました。
5ヵ国語を操ることができ、ギターの腕前は大人顔負け。サーフィンの大会で入賞し、演劇はショーンペン監督作品の最終選考に残ったという10歳の男の子には考えられないような快挙を次々と成し遂げていました。
気になるのは友達についてですよね?夕方になると国籍様々な近所の友達が家に遊びに来ていました。さらにFacebookの友達はその時点で当時の私の800人を超え、彼は1000人友達がいました。
なんでそんなにいるの?と聞いたら、「サーフィンで年齢問わず色んな人と出会うんだ」と話していました。
10歳で当時25歳だった私を大幅に上回るスペック。これはお父さんの努力も大きいと思いますが、ある意味学校で過ごした消費的な時間、無駄な時間を特技や長所を伸ばす時間に使えば、人間のスペックはこれだけ上がるんだ、ということを目の当たりにしました。
ホームスクールの長所
彼らの家に暮らし1年間観察し続けて、気がついたホームスクール長所といえば、
・時間割を自分で決められるので、子供の才能を伸ばすことができる
・授業を能動的に選択する。授業態度も能動的
・限定的でない友人ができる
・集団に属していないので、友達のことで悩むなど人間関係のストレスがない
短所は
・親の管理が大変
・子供をやる気にさせるのが大変?
学校は親の怠惰?
もちろん親にとっては子供がずーっと家にいられたら、うっとしかったりうるさいこともあるでしょう。学校は親にとっては神施設。全てを請け負って、教育をしてくれるのですから。もっと親御さんは学校と先生に感謝をしないといけませんね。
しかしリモートワークが許されるのなら、このアメリカ人のお父さんのような教育方法も不可能ではないということです。今の時代わざわざ先生を家に呼ぶ必要もなく、人気講師の授業をタブレットで見せるとかもできますよね?(まだかな?)
学校での学びは受け身、ホームスクールは能動性が要
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上記の記事でも書きましたが、学校といえば行けば授業というコンテンツが用意されている。それは真剣に聞いてもいいし、寝ていて聞かないという選択肢もある。
こういった環境だと人間は受動的になってしまいます。一方でホームスクールは時間割から自分で意思を持って作っていく。また才能を伸ばすために、得意な科目に多く時間を取るということも可能です。
友達に関してもそう。常に友達が周りにいるわけではないので、遊びたいなら自分で作りにいく必要がある。だから興味を持った趣味をやってみたり、イベントに出かけてみたりする。生き方がとても能動的になります。
人生とは自分に与えられた時間。それを他人に埋めてもらうのは、アフターコロナはナンセンスだと思うのです。自分の時間は自分で創造することができる子供は、大人になっても人にタスクを与えられずとも、人生の時間を自分で創造していくことでしょう。
オンライン授業の分野も進化しそうな今、そろそろ日本人もホームスクールを取り入れてみてもいいのではないでしょうか?
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にも書きましたが、組織の形も近年急激に進化しています。私たちが学ばなくてはならなかった集団生活も過去のものになりつつあります。
先日公園に散歩に出かけました。そこには保育園児が10名ほど、先生が3名ほど遊んでいました。その中にポツンと集団から外れてひとりで地面に絵を描いている子がいました。一人の先生はその一人の子につきそっていました。
なぜひとりでいたのかはわかりませんが、きっと集団が馴染めない子だったのでしょう。それを見守る先生の表情は優しいものではなく、どこか「面倒な子だな」というのが伝わってくるものでした。
親御さんは仕事に行かなければならず、仕方なく保育園に預けているのかもしれませんが、子供も先生も幸せそうではないその光景をみて「なんだかな」と思ってしまったのです。
これは持論なのですが、子供というのは当たり前に持つものではなく、前出のお父さんのようにとことん子供に向き合うという覚悟がある人のみが持つべきものなんじゃないかと思っています。
少子化うんぬんはありますが、この国は体裁で子供を作っている人がまだまだ多いのではないかと。寂しそうな子供を見るたびにそんな思いがしてしまうのです。