ニヒリズムから意味の創造へ
人生というテーマの下、最後に伝えたいのは生きる意味についてだ。
俺は本来、生物には生きる意味はないと思ってる。生物は目的を持って誕生したわけではない。俺がこう考えるのは典型的な生物学を学んでいるのが大きく影響しているだろうから、君が違うと考えたってもちろんいい。とりあえず、生物はDNAという複雑な分子が、増殖しようとする力学が物理化学のレベルで生じ、その結果として生物というより不思議な存在が生まれたのだと思う。つまり、生物はDNAという化学物質の乗り物にすぎず、増えるための手段であるということだ。
これは実に悲しく、つまらない考え方じゃないだろうか。
哲学者の中にはこの考えと似た風に、意味がないという結論に至った人たちがいたらしい。こうした考えは、ニヒリズム、虚無主義なんて格好良く呼ばれている。
人生には意味がないんだと絶望したり、流されるように生きていったりするのは人間的ではない。それじゃあ物質とたいして変わらない。
ナチスの強制収容所という地獄を経験したフランクルという心理学者がいる。彼は、人間は人生から意味を問われているのであって、それに責任を持って答えなくてはならないと言う。
フランクルの考え方もニヒリズムに比べたらはるかに素敵だと思うけど、やっぱり俺は能動性を大切にしたい。本来的に生に意味がないとしても、意味をつくっていけばいい。人間は、存在の意味を創造できるし、そうあるべきだ。俺はそう思う。
生きるのに意味なんていらないという考えもあっていいとは思う。けど、創造活動をしていく過程で、自分なりの生きる意味を発見、創造することは、君の生をより豊かに鮮やかにしてくれるんじゃないだろうか。