反抗、詩人、共有
人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である。
これは、俺にとって自由な人の1つの象徴であるソローという人が残した言葉だ。ソローは市民的不服従の先駆者として知られる人で、彼は奴隷制度を認める州に対し税金を払うことを拒否し投獄された。彼は自分の正義を信じ、巨大な組織に対してもその正義を貫いた。彼の勇敢な行動は後にガンジーやキング牧師につながっていった。つまり、インドや黒人が獲得した自由と切り離せない人物だ。
ソローは2年と少しの間、文明社会を離れ森で生活した。森の生活の中でソローは、消費はおろか、食についても常識より少ない量で事足りることを発見した。ソローは大衆が思考せずに必要と思っている衣食住を疑い、彼なりの基準で最低限しか求めなかった。それによって彼は労働の奴隷と化していた大衆から離れ自由を手に入れた。
肩書で語るのはいけてないと思うけれど、それでも詩人という人々は、もっとも自由な人間の1つのあり方なのではないかと思う。詩人は生きるのにぎりぎりの貧しさでも気にしない。必要なのはペンと紙だけだ。それさえあれば、彼らはあらゆる対象から新しい、美しい姿を発見し、その表現を創造できる。
お金をどんなにたくさん持っていても、それは自由であることとは無関係だ。実際には、お金の奴隷になっていることの方が多いかもしれない。最後にフロムの言葉を引こう。
たくさん持っている人が豊かなのではない。たくさん与える人が豊かなのだ
どんなに多くを所有していても、他人に与えることができないなら、その人生は貧しい。これはきっと自由でないとできないことだろうね。