正確な計算を行う機械:苦悩の歯車コンピュータ
ヒトの営みが複雑化するに伴い、高速に、正しく演算することの需要 -- 数学・物理学・天文学などの科学演算、収穫を予測し、正しい航路を導き、商業を営む必要 --が、計算装置を生み出した。
歯車で稼働する苦難のオートマタ
農業によって巨大化した王国を統治する必要が、初期の計算装置を創らせる。納税を計算し、それを予測するための河川の測量、天体観測、また巨大建造物を建築するために小石や算木を並べ、計算結果を数表として使い、さらに算盤「アバカス(ソロバン)」が使われる。以降、長きにわたり計算器具と数表による演算の時代が続く。
17世紀、大航海と重商主義のただ中で、デカルト、ニュートン、ライプニッツなどの哲学・数学者が互いに影響しあい、確実で不可分のアトムの数理による基盤となる論理を開拓していたころ。銀行や株式会社が発足するなど大量・複雑化する銀行、貿易、税の計算、そして航海のための精度の高い演算の需要に技術が追いつかず、歯車を使った機械式の計算器の開発は困難を極める。パスカルの加算マシン(1642年)は減算が行えず製品販売に失敗し、記号による数理推論法を展開するライプニッツの段差式計算器(1673年)は加減乗除ができたがコストが高く、19世紀にはいってようやく改良型の量産販売に成功する。
19世紀、紡績機、蒸気機関などの革新技術と大量生産のいきおいに乗り鉄道を開通した産業革命の中心地イギリスで、バベッジは数表における計算と印刷の人為的なミスを正す計算エンジンの開発に取り組む。ディファレンス・エンジンは、モランドの桁上がり機構(1660年)やジャカールのパンチカード式紋織機(1833年)などをバックボーンに、パンチカードを入力とし、足し算だけの階差演算を使って多項式を解き、記憶装置にストアし、数表の印刷原板を出力するという画期的なマシンだったが、開発費が蒸気船17隻分の1万7000ポンド、開発期間が10年余りにおよび、経験のない巨大なシステム開発の渦に巻き込まれ未完となった。後に、バベッジの生誕200年のイベントとしてロンドンの科学博物館が、当時の技術で稼働するマシンを完成することとなる(1991年)。さらに、蒸気機関を動力として「プログラムに従って自動的に計算する機械」であるアナリティカル・エンジンを考案・設計したがこれも未完で終わっている。バベッジのスチームコンピュータが完成していればと考えるファンも多く[3]、「コンピュータの父」と呼ばれることもある。
ライプニッツの段差式計算器をもとに改良が重ねられた手回しの機械式計算機は、電卓が普及するまでの長期間にわたり世界中で利用されることとなる。
参考書籍:
[1] スコット・マッカートニー(2001), "エニアック :世界最初のコンピュータ開発秘話", 日暮雅通訳, パーソナルメディア
[2] 新戸雅章(1996), "バベッジのコンピュータ", 筑摩書房
[3] ウィリアム・ギブスン, ブルース・スターリング (1991), "ディファレンス・エンジン", 黒丸尚訳, 早川書房