道具との共進化への道: 二足歩行という無謀な選択
●人類進化の源泉、オルドヴァイ渓谷[1][2]
今も続く進化のホットスポットの一つ「アフリカ/グレート・リフト・バレー」[3]、多くの哺乳類の進化を促し、そして類人猿からヒトへの分岐は西リフト・バレーと東リフト・バレーに囲まれたヴィクトリア湖の東、オルドヴァイ渓谷に始まった。
1000~500万年前、地下マントルの上昇によってアフリカ大陸を引き裂くように、南北7000kmにもおよぶグレート・リフト・バレーの巨大な谷を形成し、谷の両側にいくつもの高い火山が生まれ、そのいくつかからは放射性元素を含むマグマが間欠的に噴出していた。ヒトの祖先たちは、溶岩由来の栄養に富む土壌で繁殖する熱帯雨林に惹かれてオルドヴァイ渓谷に集まり、気づくと周囲を谷と火山に囲まれ、谷を越え他の地域に広がっていったのは冒険精神とサバイバル能力にたけた一部のものたちだけだった。グレート・リフト・バレーは、ヒトの越えるべき壁として立ちはだかったのだ。そして、ほとんどは渓谷周辺にとどまり、地形の変化による湿潤な気候の時代と半砂漠化した時代の繰り返し、火山の爆発の脅威にさらされ、ゆっくりとサバンナ化する環境変化とともに生活様式と身体を適応させる。そして、オルドヴァイ渓谷周辺が人類進化の源泉となった。
●家族、二足歩行、チャレンジ精神、コミュニティの共進化[4][5][6]
ゆっくりと乾燥に向かう熱帯雨林において果物や木の実などが減り、森で食物を獲得することが難しくなり、森林での食物獲得競争が激化する。長期の乾期を生きるものたちにとっては、なおさら果物の獲得が困難になってゆく。
440万年前、果物の獲得量が減少する時代での生存戦略として、一人の妻と少人数の家族を養って子孫を残すという選択をしたラミダスは、特定の妻と子を守り確実に自身の子を残すという戦略のもと、強靱な体や犬歯をもったものよりも食物の採集能力をもったものがより多くの子孫を残すこととなる。
やがて、住処からはなれた木々から、そして地面を越えた先にある森林から果物を採取するため、両手でかかえて果物を持ち帰るものたちが現れる。両手で果物をかかえて持ち移動し、地面に置き、またかかえて移動する。その繰り返しの中で、二足歩行を活用してより多くの食料を運ぶことができるものたちの子孫が増え、直立二足歩行をより確実にしていった。そして、370万年前にはサバンナ化が進むが、季節によって茂る疎林や、川辺に残る森などが湿在する環境において、居住地から草原に進出し、豆や草の種、葉や茎のほか、地中の根や球根、昆虫、動物の腐肉など、さまざまな食べ物にチャレンジしてゆく。
それにしても、食物の採集を優先し、強靱な体を捨て、足の遅い直立二足歩行を選択し、草原に進出をめざすとはずいぶん無謀な選択をしたもので、早々に絶滅してしまっても不思議はなかった。草原に出ることで肉食獣に襲われる危険が増え、二足歩行で目立つにもかかわらず、足が遅く戦うこともできない。ヒトの草原への進出は、複数の家族が集まって数十人の集団で行動するというコミュニティとコミュニケーションとの共進化とともに100万年以上の長いときをかけて徐々に進められていったのだった。
参考書籍:
[1] 丸山茂徳(2018), "地球史を読み解く", 放送大学教育振興会
[2] 丸山茂樹(2020),"最新 地球と生命の誕生と進化:[全地球史アトラス]ガイドブック", 清水書院
[3] ティス・ゴールドシュミット(1999), "ダーウィンの箱庭 ヴィクトリア湖", 草思社
[4] NHKスペシャル「人類誕生」制作班(2018), "NHK スペシャル 人類誕生", 馬場悠男監修, 学研プラス
[5] NHKスペシャル「人類誕生」制作班(2018), "大逆転! 奇跡の人類史", 馬場悠男, 海部陽介監修, NHK出版
[6] 松沢哲郎(2018), "分かち合う心の進化", 岩波書店