1万年前になぜ農耕民が誕生したのか
小規模な狩猟採集民が農耕生活に移行し、人口を巨大化していったのは、気候変動などにより定住生活に誘われ、そこから抜け出せなくなった定住化と農耕の罠にはまったためだった。
●気候変動と農耕コミュニティの形成
【豊かな狩猟採集民】
1万5000年前までのヒトは、0~20人程度の小集団で獲物を追って移動する狩猟採集により生活していた。最終氷期の1万4000年前頃、気候が湿潤になるにつれて、森がそばにあり海・河川・湖が近く天然の動植物が豊富な地域に定住し、周囲の獲物と植物を採集するだけで十分な食料が手に入る豊かで安定した定住型の狩猟採集生活を選択する集落が発生する。
定住生活のメリット:
・老人が置いていかれることがない
・安全に出産できる
・大きく専門的な道具を利用できる
・食料を貯蔵できる
定住により、食料を安定して確保でき、より多くの子供を養い、老人と子供の死亡率が減り、急激に人口が増えていく。同時期に、ナイル流域や中東各地で栄養が豊富で短時間で大きな収穫が得られる野生の穀類=小麦が自生するようになり、定住生活との相乗効果によりさらに人口を増やす。やがて、サハラ・シリア・シナイが乾燥化し砂漠が広がり、パレスティナなどの麦自生地を目指してさらに狩猟採集民が集まることとなる。
【定住化の罠】
1万3000年前ヴュルム氷期が終った直後に、北半球の氷床の溶解などにより亜氷期(ヤンガードリアス期)が発生する。人口過剰と天然資源の減少による食糧難という問題に直面した定住型の狩猟採集民はすでに移動による狩猟採集のノウハウを失っており、穀物などの効率の良い植物の収穫量を増やす工夫に成功した集団=農耕民だけが生き残る。農耕民は、栽培に有利な穀物や豆類を選別して育て、それが増え、収穫する農耕民の人口が増し、栽培可能な地域を広げるた。
1万1500年前、再び温暖化に転じると収穫量が増加し、人口増加に拍車がかかる。以降、農耕民は、技術の改良による人口増加⇒人口過密に伴うギリギリの食生活⇒土地の荒廃による飢饉や病による人口減少⇒足りない労働力を増やすための人口増加、という抜け出せない貧しい生活サイクルを何千年ものあいだ繰り返すこととなる。
【「肥沃な三日月地帯」の形成と集落の巨大化】
紀元前1万年前に、後にメソポタミア文明を構築する「肥沃な三日月地帯」を形成する。
「肥沃な三日月地帯」のメリット:
・地中海性気候で、地形が起伏に富んでいるので野生種の種類が多い
・季節ごとの気候が変化に富んでいて、一年草の割合が多く、多様化している
・川が近く、低地で氾濫による栄養補給があり、灌漑ができる
・低地と高地のあいだで時期のずれた収穫ができる
・山羊、羊、豚など家畜化可能な哺乳類が豊富に生息する
人口密度が高くなると周囲との争いが頻発するようになり、周囲の狩猟採集民を追い出し、武装した盗賊から集落を守るための「軍事力」が必要となる。大きな集団ほど、より大きな「軍事力」を養うことができることから、しだいに集団の規模が大きくなっていく。集団の規模が大きくなると、集団内のもめ事をまとめ、運営するための統率者と官僚組織=政治エリートが発生する。やがて統率者と官僚組織が支配する仕組みを構築し、生産した食料を管理し、税金を課し、軍隊を動かすようになる。集団が都市となり巨大化するにつれて、それをささえる生産プラットフォームの治水・灌漑などの技術発展をうながし、それがさらなる集団の巨大化を進める。
農耕生産プラットフォームの上に、自身では生産しない専門職をのせた集団は、周囲を取り込む巨大化のサイクルを回してゆく。
参考書籍:
[1] デヴィッド・クリスチャン, シンシア・ストークス・ブラウン, クレイグ・ベンジャミン(2016), "ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか :宇宙開闢から138億年の「人間」史", 長沼 毅監, 石井克弥, 竹田純子, 中川泉訳, 明石書店
[2] デイヴィッド・クリスチャン監(2017), "ビッグヒストリー大図鑑 :宇宙と人類 138億年の物語", 秋山淑子, 竹田純子, 中川泉, 森富美子訳, 河出書房新社
[3] 松岡正剛(1996), "増補 情報の歴史", NTT出版
[4] ジャレド・ダイアモンド(2000), "銃・病原菌・鉄",倉骨彰訳 , 草思社
- Jared Diamond(1997), "GUNS, GERMS, AND STEEL: The Fates of Human Societies", W.W.Norton & Company.