他律機能のコーチに成れるか?
問題・課題に対する解決策を提示したり、助言を提供するのがコンサルという職業らしい。「弊社のビジョンを示して欲しい」なんて、本来であれば「それは社長の中にあるものですよ」と助言するべきところを「信頼!」なんて寝言を刷り込むことが許されるのは、『助言を提供する』ことがミッションであって、その助言を社長氏が採用するのかしないのかはコンサルの範疇では無いからということなのですな。とある時に「信頼!」と胸を張って「コンサルに一千万支払って、これを導いて頂きました!」と嬉々として語られたことがあって、ずっと引っかかっていたのでした。コンサルティングとうのはあくまでも策や助言の提供までと言うことなのですね。
精神的安定を促すカウンセリングと一人一人の機能を引き出すコーチングにおいては、個々に寄り添う力が必要で、凄まじい能力だなと驚かされる。対話による内省が通じればよいが、丁寧に寄り添い自律機能を導き出し、一歩踏み出すエールを送り続けるカウンセラーやコーチングのプロフェッショナルの他律機能には、もっともっと高額な対価が支払われるべきなのだろうなと思うのだ。リハビリのプロフェッショナルも同様である。個々の人間における未来のWell-Beingを獲得させるのだから、そこには多くのサラリーが支払われるべきだ。GDPが伸びているなどという絵空事が新聞紙面に登場するだけで、総選挙が近いのかなと勘ぐってしまう。
アンテナを持たない者にはティーチングは出来ない。全くの無意味だから、そんな輩は大学などには行かないのがよろしい。内省によって己の価値観を導き出し、その方向性に沿った専門学校に行くのが宜しい。大学でのティーチングは常にアンテナを高く伸ばし、そしてダイバーシティーを受け入れる者向けのものである。社会も同様であって、快楽を満たすゲームを提供する場ではない。学ぶ者を受け入れない企業にもティーチングは不可能である。コンサル氏に高額のフィーを支払うことで個人のGDPに貢献するのがよろしい。存在悪から脱するには、学ぶしかない。学び他律機能を高めること。それだけのことである。