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つくるという行為を通して木や森と人の関係を再考する

こんにちは、私は京都工芸繊維大学でデザインを学ぶ学部4回生のものです。これから一年行なっていく卒業研究の記録として、noteを活用していこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

早速ですが、現段階で私が研究テーマとして考えていることは、
つくるという行為を通して木や森と人の関係を再考する」です。

このテーマにした理由として、私は以下の三つのことを感じています。

木や森が近いようで遠い存在ではないかということ
ものづくりという行為が人々から離れているのではないかということ
つくるという行為自体から得られるものがあるのではないか

ここからそれぞれについて説明していきます。


木や森が近いようで遠い

まず、日本の面積のおよそ3分の2が森林であるということはご存じの方が多いと思います。しかし現代、特に都市部に住む人にとっては、日常生活で木や森のことに思いを馳せることはあまりないのではと思います。

街路樹など含め、日常生活で木を見ない方が少ないはずなのに、木をみても特に気にせず生活している人が多いのではないでしょうか。

木製のものを使っている人も、その材は外材が多かったりします。日本の中に十分に木があるにも関わらず、わざわざ国外から伐採した木を燃料コストをかけて運んでいるのです。その方が経済的には+ということにも違和感があります。

あなたの周りにあるその木製品はどこからやってきたのか。どのように育てられ、どのように伐採されたのか。

私たちが見えていないところがたくさんあるのではないでしょうか。



また、最近キャンプが人気になったりと「自然」を感じられる場に行く人も増えていると思います。キャンプ場やその道中で都市部では見ないようなたくさんの木を見ることがあるでしょう。

しかし、その木の多くが人の手で植えられてきたものだということをどれくらいの人が認識しているのでしょうか。


人が植えた以上、整備しないと成り立たないものも多いのが現状です。森は放っておいたら勝手に木が生えるという訳ではないのです。

また放っておくと、自然災害にも繋がりかねません。


これらは一部の例ですが、私たちと木や森との関係性を考え直さないといけないと思います。


ものづくりという行為が人々から離れている

つくらなくても手に入る

今の時代IKEAに行けば、安くでお洒落な家具を手に入れることができます。

また100円ショップに行けば、あらゆるものが低価格で手に入ります。今
の時代つくらなくても十分に必要なものを手に入れることができるのです。

場合によってはつくった方が買うより高く付くことも大いにある時代です。

このような背景もあり、ものをつくるという行為から離れ、つくるという行為は自分には関係のないものと感じる人も多いのでしょう。


ものづくり?デザイン?自分には無理

幼かった頃は多くの人が自由に絵を描いたり、何か工作してみたことがあると思います。

つくるって楽しい行為だったはずなのです。

しかしどこかのタイミングで上手い下手を意識するようになり、私には才能がないからといって絵を描くことやものをつくることを何か怖いものだと思っている人が多いのではないでしょうか。

私もそのうちの一人です。

デザイン学部に入っているのに何を言っているのだと思われるかも知れませんが、デザイン学部に入ったからこそ、周りとの差に絶望し、しんどくなったことは多々あります。
まだまだつくるという行為にハードルを感じている人は多いのではないでしょうか。

実際私の友達で、ものづくりをやってみたいと言っていた人にデジタルファブリケーションを用いたワークショップを紹介したのですが、敷居を高く感じているようでした。

しかし彼は料理が得意だったりするわけで、ちょっとしたきっかけや道具があれば、ものづくりに抵抗のある人もつくるという行為を十分に行えるのではないでしょうか。

料理はものづくりに比べると多くの人が行なっているのに、ものづくりは皆行なっていないのには、何か問題があるのではないかと感じるのです。


ものづくりの民主化

最近は、ものづくりの民主化という言葉を良く聞くようになりました。

特にデジタルファブリケーションの発達により、より簡単に正確なものをつくれるようになり、よりパーソナルなものをつくれるようにはなってきています。

しかし、いくらメイカームーブメントがあっても、fab施設が近くにあっても、繋がりがない人にとっては入りにくい場所になってしまっていたりすると思います。

寧ろこのような動きに乗っかれているのは、元からものづくりに興味がある人、普段からものづくりを行なっている人たちが中心なのではないでしょうか。

つくることを通した学び

私は今年の二月にグリーンウッドワークという生を使った手加工を基本とする木工を行ないました。

森の中で丸太を割るところから行ない、ナイフで削り出す中で、不規則な材のとの対話する感覚や、周りの森を感じられました。

ホームセンターで売っている合板から何かつくるのとは全然違う感覚でした。

この経験から、現代人から失われてかけている、つくるという行為からは大事なものが得られると思うのです。

私が研究で考えたいつくるという行為は、製品レベルのいわゆる綺麗なものをつくれるかというのは重要ではありません。
つくるという行為自体が重要ではないかと考えているのです。


研究したいと考えていること

長くなりましたが、私はこのような森に対する私たちとの関係性について、そして、つくるという行為についての興味関心から、

つくるという行為を通して木や森と人の関係を再考する」ことを考えたいと思っています。

具体的には、人々につくるという行為を体験して貰うキット制作や、ワークショップデザインを行なうことを考えています。

つくるに敷居を感じている人も参加してもらえるようにしたいです。

まだまだ詰めが甘い部分も多いかと思いますが、この一年弱で何かしらのアウトプットを出す予定です。



次回以降は研究の進捗について、行なった実験やプロトタイピングやフィールドワークについて、さらには発見した面白い参考事例等も書いていければと思います。

最後までご覧頂きありがとうございました。質問やご指摘など頂ければ嬉しいです。

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ぽんきち
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