らしくありたいだけ
最近ハッとさせられたがある。
今は個性を大事にする時代。あなたの本能のままに生きる時代。そう叫ばれて久しい。しかしどうだろう。自分の本能と引き換えに、毎日時間に数字に追われて、苦手を克服しようとしても失敗して、右も左も疲れ切って、立ち上がる元気も出ない。そんな方が多数ではなかろうかということ。
それがいわゆる「普通」と呼ばれる世の中で、それに警鐘を鳴らす方々の話を聞いて「確かに」と納得せざるを得なかったこと。そしてかくいう私もそんな世の中に違和感を覚えながらも、他に戦う術がないからとしがみつきながら、終わりの見えないトンネルをさまよい続けてきた人間だということ。
そんな自分に待ったをかける出来事がまさか来ようとは。これを書くまでは夢にも思いもしなかったわけである。
これまでは商業高校でパソコンのノウハウやビジネスマナーなどを学び、農事会社と土木製品会社で事務職を合わせて4か月ほど担当し、2か月間を開けた後に測量会社でCADオペレーターを10年ほどやってきた。
パソコン操作は好きなのでそれ自体は割とすんなり覚えることができた。
だが同時に課題も生まれた。
その場の会話が、というより自分にとって割に合わない内容を掘り下げようとすることが滅法苦手なのだ。
自分の好きなことで会話を盛り上げることは楽しい。だが興味もないものの話ややりがいや充実感もなく収入のためだけにやってしまった仕事の話になると言葉に詰まる。
本来思ったことを言語化し、リストに起こしてそれを整理し、ものに興すことはできるのだが、その気も起きなくなり、「へぇ」「ふぅん」で終わり。
我ながらドライね、ごめんなさい。
そんなもやを抱えながらもCADオペレーターとして頑張ってきたところに2024年3月付けでその会社を離れることが決まった際に、新天地を探し出さなくてはならないわけだが、これがなかなか見つからない。
先のビジョンが見えないのだ。
生活する以上お金が必要だ。だがあたりを見渡せば身の丈に合わない土地だらけ。
対人がダメでもものづくりをしている間は夢中になれるので、自分でも輝けるのではないかと、そこに的を絞ろうとしてみた。だが仕事としてやっていくだけのノウハウもスキルもない。
……え、じゃあどうしろと?
途方に暮れ、事務職に戻ろうとしたところに、待ったをかける方が現れた。
その方はこう言うのだ。
「やりたいことで生きようよ」と。
それはそれはのどが枯れるほど大きな、力強い声で。
自分自身がこれが「好き」だとしていて
自分自身がこれが「得意」だとしていて
自分自身がこれを「大事」にしているもの。
それらを組み合わせたものが自分自身の「本当にやりたいもの」だという。
いわゆる“自己理解”なるものだ。
いやいやいや。
そんなん、見つかってりゃ苦労してませんよ。
なんて半信半疑に思いながらも、それを基に自分でリストに起こしてみた。
好き
デザイン
ギター、音楽鑑賞
リラックス
得意
勉強する
文字を書く
パソコンを使う
情報や考えをリスト化し、整理する
大事
楽しい、満たされる
のびのびできる
夢中になれる
自分はこうだと割り切れる
イコール
ライター
クリエイター
表現者
あれ、かなりのエゴイストじゃない?笑っちゃうくらいめんどくさい。
結局自分は自分だと割り切ってのびのびと生きていたい。
好きなことをしてみたい。
らしくありたい。
それだけなのだ。
実に動物的なり。超絶わがまま。ちょっと恥ずかしい。
けどさ、こう思う人が1人や2人いたって別にいいじゃん?
しかしなんだか首の皮1枚繋がったような、腑に落ちたような気がして、思い切って表現者という名の的にダーツを1本投げてみようと思い、こんな文章を書いてみようと決心した。
これが自己理解のプロ、八木仁平氏の動画との出会いである。
これを書いたからと言って全ての方に必ずしも刺さるとはこれっぽっちも考えていないが、それでも自分が満たされ、かつわかって下さる方が1人でもいらっしゃるのであれば、不定期ながらも自分のペースで思ったことを思ったままにつづり、投げていくことにした。
長くなってしまったが、以上が私は私でいいのだと思うようになった、ハッとさせられた出来事である。