折々の言葉より。 ~ 自由は自分の手の中にあった ~
脳みそに風をとおし
はらわたを樹にひっかけて干し
手は椅子の上に投げ出しておこう
足は思うところへ行くがいい
矢沢宰詩集「光る砂漠」より
朝日新聞を読んでいるのですが、この新聞で一番好きな記事は一面の「折々の言葉」です。
記者が本やインタビュー記事などありとあらゆるメディアから抜粋した著名人、作家の「言葉」を紹介するコーナーではときおり、ドッと胸を打つ言葉に出会うことがあります。
冒頭の詩もその一つです。
がんじがらめになっている身体の解放を歌った詩ですが、作者の矢沢宰は10代の半分以上を病院の寝台の上で過ごし、500篇(ぺん)もの詩を残して21歳で若さで旅立ちます。
病院のベッドにくくりつけられている身体の感覚だけは自然の中に心ゆくまで放っていたかったと作者はいいます。
私の身体はこの詩の作者に比べたらこんなにも自由であるはずなのに、同じように脳も身体も内蔵も、手足も縛られている気がします。
日々の仕事や生活、社会や思想様々なものが私の身体を締め付けています。
本当の私はこれが食べたいのかな。
私の内臓はこれを求めているのだろうか。
健康に良いから、身体に悪いから、そんな考えに私の身体や内臓は縛られていやしないだろうか。
この詩を読んだとき、時には身体の求めるまま、手足の求めるままに「解放」すること、その必要性を突きつけられたように思います。
「自由」を味わう権利が与えられているのにその権利を履行しないのはまさに自分であることに気づかされた詩でした。
そして、その自由の享受は当然ながら「幸福」に繋がっており、自分の中のもっとも自然である「身体」の声に耳を傾け、大切にすることは「幸福」そのものなんだと思います。
こんな人生をまるごと変えちゃうような素敵な言葉に出会うことができる折々の言葉があるから、なんとなくずっと朝日新聞がやめられずにいます。
また素敵な言葉を見つけたら、こちらでご紹介できればと思います。
あなたの貴重なお時間をいただきありがとうございました。
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