我慢し続けた結果、、、
不登校だからこそ出来ること
という記事を前回書きました。
「不登校だから出来る」
これってとても魅力的だと思います。
せっかく不登校という選択をしたのだから、
(選択せざる得なかったって人もいると思いますが)
(↑僕はこっち笑)
学校に行ってると出来ないことを(旅に出るとか)もっと楽しんでも良かったなって今振り返ると思います。
それでは今回の記事です。
「我慢」「抑え込む」
こんなことばかりしていたから自分がなにを感じているかも分からなくなって、自然と笑うことも出来なくなっていました。
そんな日が5年近く続いて、「プツっと」糸が切れたように身体が動かなくなり、そこから不登校がスタートしました。
縁があり臨床心理士の先生からカウンセリングを受ける中で、その溜め込んでいた感情がさまざまな形で表に出てきました。
怒りと哀しさがどんどんどんどん出てきて
怒声を荒げたり、
家具が壊れるまで殴ったり、
とめどなく涙を流したり、
いままでの分を吐き出すかのように、
ちょっとしたきっかけで色んなものが出て来るようになりました。
周りにいた家族からしたらたまったもんじゃなかったはずです。
溜めて、抑えて、我慢して、を続けていた堰が切れると、コントロールすることはもはや不可能でした。
「施設に預けた方が良いと思う」
と自ら母に言ったこともあります。
「馬鹿なことをいうな」
と一蹴されましたが、
学校にいけない自分も、
どうしようもなく当たり散らす自分も、
人と話すことすら出来ない自分も、
もういやになって。
そんな時期がありました。
どんな状態であっても側にいてくれた母には感謝しかないです。
そして、その吐き出す、吐き出せるという経験が出来たことは、とても大きかったように思います。
吐き出せる前とは感覚が違っていて、曇りが晴れていくような感覚もありました。
(これも数日ではなく数年単位での話です)
僕の場合は溜め込み過ぎていたから振れ幅が大きかったけれど、こうやって受けたものを背負いこみ過ぎずに適宜外に出す、流していくって本当に大事なことです。
誰かに話すでも、
紙に書くでも、
身体が動きたいままに動くのでも、
(暴力的な形や、自傷する形はやっぱり避けて欲しいです)
どんな形でも良いので、溜め込み過ぎず、流していくことの大切さを心に留めておいて下さい。
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