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他人のエゴによって生まれ、自分のエゴに基づいて生きる。それでいいじゃないか。【感謝も恨みもご随意に】

*随意(ずいい)とは
束縛や制限のないこと。思いのままであるさま。
かって。(スーパー大辞林より)


⚠️この記事には、親子、生きることに関する不快な表現が含まれている可能性があります。許容不能な考えを見ても怒ったり落ち込んだりしすぎず、また、反射的な非難を行わないよう、ご自身をコントロールできるような精神的余裕のある方のみご閲覧ください。

上の警告文を読んで嫌な予感がした方は、ここまでで閲覧をおやめください。ご期待に添えず申し訳ありません。記事を開いてくださり、ありがとうございました。どうか、ご自分の心を大事に守ってあげてください。

(下に大きくスクロールすると記事に進みます)



























人は
生まれたいか
生まれたくないかを
選ぶことができません。

自分の意思に関係なく
他人の意思によって
強制的に命も思考も
始めさせられます。

自分が
生まれたのは

そして
いま自分に
意思や感情が
あるのは

良くも悪くも
他人の都合です。

たしかに自分では
選べなかったこと
なのですから
それは事実です。


そして
生きている方が幸せか
生まれなかった方が幸せかは
人それぞれです。

気質、性格、価値観、
育った環境などによって
変わるでしょう。

なので、自然と親に
感謝するようになる
人もいますし

逆に、自然と親を
恨むようになる人も
います。

あるいは、親に
無関心気味な人も
いるでしょう。

それはもう

生まれたのち
感じてきたこと
次第です。

どれになっても

あるいはその他の
状態になっても

おかしくありません。


人は
Aさんが原因で
体験したことによって
感じた気持ちをもとに

それ相応の感情を
Aさんに向けるように
なります。

それは、親による
「この世に生まれた」
「生きてこんな思いをした」
という体験もまた然り。


人が皆幸せに育つことなど
理想郷でもないこの世で
不可能なことです。

ですから

親に感謝の気持ちが
湧かない子どもがいるのも
まったく当然のことだと
言えます。

だって
生きているせいで
不幸になったのに
「生んでくれてありがとう」と
思う人がどこにいるでしょう?

腹を痛めて生んだのに とか
長年苦労して育てたのに とか
場合によっては
望んで生んだわけじゃないのに とか

親側にはそういう思いも
あるかもしれませんが

それは親の都合であって
子どもがそれを考慮してやる
筋合いはどこにもありません。

いくら苦労したことだろうと
相手のためにやったことだろうと
相手が直接「やってくれ」と
頼んできたことでないのならば
それは全て本人の都合に過ぎません。

親はそれを理由に
子どもの気持ちや言動を
封じることはできませんし

子どもはそれを
選べずに押しつけられた
だけなのだから

当たり前ですけれど
押し込められなくて
いいのです。

だって、相手が苦労したとか
自分のことを思っていたとか

そんなこちらには関係ない
自分の意思ではどうにも
できなかった事情だけで

自然と芽生えた
自分の感情も意思も
勝手に制限されてしまう
というのは

あまりにも理不尽で
おかしなことでしょう。

悪いことを
していないどころか
頼んでもいないものを
押しつけられ

なおかつ
それによって
芽生えたものまで
抑えつけられるなど

もはや人権のない
奴隷のようなもの
ですからね。


子どもは
生まれる前は
母親と一体でしたが

生まれ出た瞬間からは
独立した人格を持つ
別の個体です。
親の付属品でも
所持品でもありません。

親は、あくまでも
子どもを産んだ以上
あるいは引き取った以上

その一人の人間が
安定した知恵と力を得るまで
支える義務があるだけです。

どう感じるか
どう考えるか
どうしたいかまで
操作・管理しては
いけません。

親は子どもを
自由にできるわけでは
ないのです。

ですから子どもは

故意に傷つけたりなどの
行動に出ないのであれば

親を
どう思っていようと
自由なのです。


親しみを感じるなら
仲良くすればいい。

感謝を覚えたなら
孝行すればいい。

けれど

憎しみを覚えたなら
批判すればいい。
あるいは
縁を切ってもいいし
恨み続けてもいい。

どう思おうと
あなたの勝手。
どう恨もうと
あなたの自由。

あなたの思考は
誰にも制限できないし
誰にも制限する権利はない。

誰になんと言われようと
あなたの感じたままに
思い続ければいい。
したいようにしていればいい。

「この世に生まれて
   生きられることは
   幸せだ」など

「だから
   親孝行をすべきだ」など

そんなのは
価値観の押しつけです。
意見の押しつけです。

そう思っている人が
いるのは自由だけれど

その人がその考えを
他人に強制することは
できません。

ですからあなたが
そんな押しつけを
受けとってやる必要は
どこにもないのです。


わからない人には
わかりません。

あたたかい家で育った人に
スラム育ちの人が
理解できるはずもないように

喜びと感謝の中で育った人に
絶望と恨みの中で育った人が
理解できるはずもない。

根本から
何もかもが違うんです。


ですからあなたは
理不尽に埋もれることなく
自分を不幸にした人間のことは
素直に恨んでしまいましょう。
それでいいんです。

感情を押さえ込んで
いつか大爆発させるよりも
よっぽど健全ですよ。

もし
恨むのをやめたいのなら
そうしたらいいけれど

恨みたいのに
やめさせられる
なんてことは
なくていいんです。



そしてここからは

唐突なる自分語りに
なるんですけれども

私はこの記事に
書いた通り

無条件に
親孝行すべきとは
思わないし
恨みたいなら
好きに恨もう

という考え
なのですけれど

その上で

そこまで考えた上で

なお

個人的に
親孝行しようと
思っています。

「無条件にやるものじゃない」
「強制されることじゃない」
「したい人だけがすればいい」
というのを
土台に考えた結果

それでも

個人的に
強い感謝を覚えていて
孝行したいなぁという
気持ちが
自然と湧いてきたので

つまりは
自発的に
孝行したいと
思ったので。


まあ
でもその一方で
恨んでいる部分も
あるんですけれどね(笑)

人間の心って複雑ですよね……
相反する感情を
同時に抱えていたりする。

恨みたいところは
恨みつつ

嫌なことや
負担だったことは
指摘しつつ

孝行したい部分は
孝行していこうと
思っています。


まあ
人間関係って
そんなもの
じゃないかなあと
思うんですよ。

長い時間を
そばで過ごしていて

1つも嫌なことや
迷惑なことがない人など
おそらく
いないでしょう。

親なんて1番長く
近くにいる人ですから

たとえ良い親だろうと
綺麗に感謝だけを
感じている人は
ほぼいないと思います。

それに加えて
親の勝手があれば
嫌いにもなるでしょう。


まあ、でも

親だから
仲良くしなきゃ
いけないわけでもなく

親だから
感謝しなきゃ
いけないわけでもなく

たまたま
血縁関係という枠に
一緒に収まって
生まれてきただけの
他人だと思えば

悪い感情を
持っているのも
まあそんなもんか と
思えてくるのでは
ないでしょうか。



最後に。

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